TOPFlash VersionHTML Version新宿区ダンボール絵画研究会当時の制作ノート

1995年08月14日

1995年8月14日 スクラップブックより

1.新宿へ
1995年8月14日、相変わらず煮え切らない気持ちを引きずりながら、夏にも飽きて、それよりもなによりも今年の夏も何もいいことがなかった、となかば諦めかけていたときだった。一本の電話が鳴った。タケヲからだった。宮澤賢治ゆかりの地への一人旅から帰ってきたという。
 僕らはさっそく上尾駅前の喫茶店で何ヶ月ぶりの再会をした。
 「何か自分なりの表現を」そろそろ実行にうつさなくては、と内心思いながら何をどうすればいいのかさっぱり分からなくて苦しい日々を送っていた。タケヲとの再会がそれを打破してくれるなんていう期待は何もしていなかったが、久しぶりなのでとにかく会いに行ったのだ。そこでひょんな話の流れからストリートでの表現をしようということになったのだ。しかも久しぶりに会ったその日から。

 新宿駅に着いた。タケヲはラッカースプレーを、僕は木枠とエスキース帳を持って。当初の予定は新宿駅東口からしょんべん横町に抜ける数十メートルの地下道にゲリラ的に絵を描くということだった。

現地を見る。何となく不可能な感じ。そこで僕らは新宿西口地下道に向かった。ホームレスの段ボールの家に絵を描こう、と思ったから。それだけだ、理由はない。最初に目に入った段ボールハウスに近付く。扉となっている段ボールをノックして「すいません」と二回ほど言った。
 「なんじゃい?」
 「絵を描いてるものなのですが、こちらの段ボールの家の外側の壁に絵を描いてもよろしいでしょうか?」
 「なんじゃい?」
僕はもう一度同じ事を言った。
 「なんじゃい?」
生まれて初めて「ホームレス」と呼ばれる人との接触だった。しかし相手は僕が言ってる意味を飲み込むのに時間がかかったらしい。そりゃそうだろう。しかし意味が分かると意外なほどすんなりと「おお、いいよ」と言ってくれた。
 最初にタケヲの持ってきたラッカースプレーで少し描いてみる。どうにもラッカーはよくない。ペンキで描いたほうがいいんじゃないだろうか、と言うことでそこの家に荷物を置かせてもらって池袋の東急ハンズに向かった。そこで黒、ミルキーホワイト、ブルー、キャラメルBの色を買って再び新宿に戻った。

何を描いたらいいのか?正直分からなかった。僕の生きている意味、ドロップアウトしてしまう自分の生き方、それを映し出すようにたたずんでいる段ボールハウス。僕は一生懸命「意味」をめぐらせた。何も出てこない。しょうがないからそこに「フッ」と浮かんだものをタケヲにエスキースで示してみた。

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