初作品

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
新宿西口地下道段ボールハウスペインティングのデビュー作。
最初、地下道の段ボールハウス群に絵を描こうとは微塵も思わなかった。新宿の何処かでゲリラ的にストリートペインティングをしようとしたのだ。オレは「TAKEWO」とペンキをかついで新宿を歩き回った。しかし、一見自由そうに見える大都会もゲリラペインティングが出来そうな所は見つからなかった。さんざん捜し回ったけど、この街はやっぱりシステマティックだった。意気消沈してオレたちはあてもなく彷徨ったのだ。
希望を失い、呆然と新宿に立ち尽くした。街は巨大で威圧的だった。絶望感に覆われながらフラフラと人の流れに任せていたら、オレたちはいつの間にか新宿西口地下道の段ボールが連立する村に辿り着いたのだ。そのまま、ふらふらと吸い込まれるように一軒の段ボールハウスに近付き、そのまま段ボールの扉を「パスッ、パスッ」とノックしたのだ。
「なんじゃい」
中からはがたいのいい恐そうなオッチャンが顔を出した。
「絵を描いてる者ですが、あなたの段ボールの家に絵を描かせて貰えますか?」
「なんじゃい?」
「ですから、段ボールハウスに絵を描かせて欲しいんです」
「なにぃっ!」
「・・・」
「あっ、いいよ、描け」
そう、こうして段ボールハウスペインティング活動の幕は切って落とされたのだ。オレたちは
夜から朝にかけて、「TAKEWO」と二人で2軒の段ボールハウスに絵を描いた。
夜中は人の叫び声とガラスの割れる音が遠くから聴こえ、数十分おきにパトカーと救急車のサイレンの音が地下道に響き渡っていた。
真夏の夜、大都市のアンダーグラウンド(地下道)からオレたちの「反逆」は始まったのだ。
初作品その2

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
最初の連作品二軒のうちの一つ。
はじめてここで描いた夜、二軒の家に絵を描いたのだ。一つはとなりの「ゴルゴ13的人面魚」そしてもう一つがこれだ。男女のペアになっていたのだ。
「泣く男」と「冷めた目で見る女」が並んだ形になっていた。残念ながらこの絵の寿命は短かった。
今改めて眺めてみると涙が出て来そうになる。
新宿の左目

武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 西口地下広場(参照)
1996年1月24日、東京都による新宿西口ホームレス強制排除でも生き残った代表作。
新宿西口地下道段ボールハウス絵画と言えば「この絵」だと言っても良い。
「ヤマネ」が「新宿の左目」と言葉にした。その言葉のイメージで三人同時に描き出した。
夜通しのライブペインティングだ。三人のバトルだった。このペインティングバトルのテンションはギャラリーが出る程だった。
西口のロータリーをはさんで向いに「新宿の目」という右目だけのモニュメントがある。オレたちの描いた絵は「左目」だ。
ちょうどいい。これで対になった。新宿の地下道に巨大な両目が出現したのだ。地下道はこのクソ日本に牙を向く魂を持った生き物となったのだ。
念のため言っておくが「新宿の左目」の「左」は別に「左翼」の「左」なんかではない。60年代を引きずっているチンカス団塊オッサンども、誤解しないでくれ。オレはお前らみたいなクズではない。
そうそう、ちょっと不思議なことだが、この絵が出来上がった時「この絵がなくなる時がこの村が終わる時だなぁ」って漠然と思った。
強制撤去でも生き残った「新宿の左目」は地下王国のシンボル的な存在となって君臨し続けたのだ。
そして1998年2月の大火災。
水浸しになった「新宿の左目」は東京都に破棄され、同時に村もなくなった。
「新宿の左目」は、本当に段ボール村と共に死んだのだった。
グラフィックな日常

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
絵は「らくがき」である。
当時のオレはそう考えていた。
これは描き上げた後に「慰霊碑」(?)のような役割としてこの作品が位置付けられていた事をあらわしている写真だと思う。
オレたちの絵がここの場所で何らかしらの宗教的役割を果たしていたとするならば、「絵とは何か?」というオレの疑問にひとつの答えが見出せるのかも知れない。
くれない

吉崎タケヲ 作 / 西口地下広場(参照)
これはスゲエ!圧巻絵巻。
タケヲはこの頃からどんどん絵が和風になって行く。
しかし、凄い。見事としか言い様がない。
パズル

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
塗りの組み合わせだけで描いた作品。
こういったいわゆる「絵画」ではない作品も結構あったはずだ。
美術をちょっと見れば分かることだが、なんだかよく分からないただ、塗装しただけの絵を描いている現代美術の「巨匠」が結構いる。
何やらもっともらしい「高尚」な理屈がづらづらと解説に書かれていたりする。
オレはそう言ったタグイの「現代美術」に何の魅力も感じなかった。むしろ偉そうに見せているその権威ぶりに猛烈に不快感を覚えていた。
ヨーロッパ、アメリカの現代絵画を「かっこいい」と思わないと芸術を語る資格すら与えられない「アート」な雰囲気をここ極東の日本で作ってどうするん?
阿呆なクソインテリたちにはホントにゲンナリ。
といったことをちょっとやってみたのさ。
色目

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
となり合う家の奥の家に手を伸ばしながら苦労してペイントしたが、家が移動し、くっついていた家の部分の段ボールがむき出しになっている。
ここインフォメーション前は定住型段ボールハウスが作られていたが、やはりちょくちょく移動していた。
ここ地下道にある段ボール村の段ボールむき出しの所を全て「絵」で埋めることを目指して描いていたが、それが完成することはとうとうなかった。
切り取られた絵

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
何回も修復をしたのだろうか。
かろうじて小さく絵の部分が残っている。
「Take」作。
ここインフォメ前の定住型段ボールハウスは何枚も段ボールをつなげて一件にしている。
弱ってきた所は新しい段ボールに替えて補強していた。
ちょっとづつ絵の描かれた所が消えて行く。
これはこれで住人とのコラボレーションなのだ。
イトヒサの絵(3)

鷹野依登久 作 / 西口地下広場(参照)
96年の夏に描きに来ていたイトヒサの絵。
絵の下書きをしなかったオレは、鉛筆で下書きをしてからペイントするイトヒサの絵の描き方を観て結構ビックリした。
当時はまだ身(からだ)が引き締まっていた(人の事は言えないが)。
羊たちの罠

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
いつ頃に描いたのだろうか、制作中のオレが写っている。
後ろからの襲撃が恐いのと、たとえ足下でも置いておいたら盗まれるから、という理由で、普段リュックは背負いながら絵を描いていた。
この写真の時はリュックを背負ってないが、それはこのTシャツがここ新宿をデザインした「I Live Here」Tシャツだからである。
こういう時リュックは西口のとあるビル地下にあるスナック「地下室のメロディー」の観葉植物の鉢の後ろに隠していた。
ペンキ缶もそこに置いて隠していた。
ママに感謝。
ゴリラ君

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
丸で描かれた作品。
作品は個人の理念や思想や作為というより、この時空に対し奇妙に「必然」的なものでありたいと思っていた。
オレは「丸」を多く描いた。
丸は角が無い、まろやかで、どこからみても同じ姿だ。そして何やらひょうきんである。
とんがりながらも「丸」をよく描いていた。
磨ぎ過ぎると本質を見失う。
「いい加減さ」とか「ユーモア」とかそういったものを含めた表現がしたいとも思っていた。
けどそれってなかなか難しくって、どうしても「いきなり人の首根っこを掴む」ような気持ちで描いていたことの方が多かった。
ナイフを突き立てて、野蛮に吠えていたい自分、
いろんなものを許容しながらユーモラスでいたい自分、
いろいろあった。
けど、一番自分が(良い方に)変われる体験とは「人の優しさに触れた時」だと実感した。
細胞

吉崎タケヲ 作 / 西口地下広場(参照)
模様系作品
いわゆる「絵画」ではない作品も実は結構描いている。
これはその一つ。
毎回違う絵を描き続けている中で「絵」以外のことをしたくなったりもした。
段ボールハウスを目の前にして「うんうん」唸ってもインスピレーションが湧かずに絵が見えて来ない時もあった。
模様と言うか、デザインと言うか、そんな感じのがあってもいいと思った。
イトヒサの絵(4)

鷹野依登久 作 / 西口地下広場(参照)
96年の夏に描きに来ていたイトヒサの絵(右側の絵)。
1996年、「イトヒサ」と「はる」のふたりがここ地下道にやって来た。まだ、あどけなさの残る顔をして。イトヒサはこの当時18才。
「ここで描きたいんですけど」という言葉にオレは少し冷たい態度で「ここは別にオレの土地じゃない。家主に直接かけあってくれ」みたいなことを言った。
でも内心実はすごく嬉しかった。オレのやっているこの制作に触発されたヤツが直接目の前に現われたからだ。
しかし喜びもつかの間、オレは逮捕されて檻の中に入れられてしまった。
けど、イトヒサとはその後頻繁にコラボレーションをするようになった。
彼のハイセンスでしなやかなドローイングにオレはかなり影響を受けた。
この当時イトヒサはペインティング主体で描いていた。
扉たち

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
段ボールハウスの扉に描かれた絵。
左側「Take」
右側「Takewo」「Take」共作。
段ボールハウスの最もポピュラーな建築様式はこの写真のような扉だった。
長い面側に扉を作る形もあったが、耐久性がちょっと劣る(まん中が凹んできてしまう)。
文章で書くとちょっと分かりにくいけど。
大小形様々であったが、ここインフォメ前は長細い立方体が主だった。
紫色の悟り

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
ネオカラーの紫が手に入ったのだろう。
紫色を主体に描いている。細かい所まで丹念に描写してある作品だ。
写真家「Paeso」氏の展覧会に展示された段ボールハウス。
この絵は非常に細かい所まで描き込んであるのだ。
ちょっとピンぼけの写真なので分からないのが非常に残念だが。
みソラ

武盾一郎・山根康弘 合作 / 西口地下広場(参照)
たしかオレと「ヤマネ」のふたりの作品だと思う。
この時期あたりで印象的だった出来事がある。
缶ビールを買って一口程飲み、床に置いてほんの1分程目を離した。すでに缶ビールはなかった。
「誰が盗ったんだ」などと考える方が浅はかで、目を離した自分が甘かったことにすぐに気付き、諦めた。
ここ(新宿)では「やったヤツより、やられるヤツの方が悪い」。シンプルなルールだ。
「やった」とは「盗った」「殺った」「犯った」「姦った」全てにおいてだ。
ここ(新宿)にいたおかげでオレはずいぶんと用心深くなった。
のけぞる人

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
ちょっとデザイン的にしてみた。
ここに暮らす人たちはオレたちにとって最高の絵画評論家だった。
デザイン的にキレイにまとめたこの絵を描いた時などは「なんだかキレーすぎて面白くないなあ」と言われた。
言い訳や理屈は通用しなかった。
「ギャフン」って感じだった。
罪(無罪)

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
段ボールハウスが撤去される時の写真だろうか。
奥にある「罪」の字の左側には「無」の字があり「無罪」と描いた作品なのだ。
それは、1996年1月24日強制撤去に抵抗した活動家が一審で「無罪」となったことを受けて描いた作品だった。
それが後に「有罪」となり、1998年、都は村を絶滅させる「罪」をつくっている。
「罪」は社会の都合で作られる。その社会を作っているのは人間ひとりひとりだ。人間同士でいざこざしてるならまだしも、地球まで破壊してる。
人はそもそも「罪人」であるって案外正解なのかも知れない。
少女の見る夢

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
段ボールハウスの扉に描かれた絵。
この絵はだいぶ後期に描かれた絵だと思う。
96年の夏、オレが逮捕されて以降、オレとタケヲは別々に絵を描くようなっていった。
オレの絵は少しづつファンタジックに、そしてラクガキっぽくなっていき、
タケヲの絵は和風に、カッチリとした絵になって行った。
東京クラムボン

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
クラムボンが笑ったよ。
クラムボンは泣いていたよ。
クラムボンは優しかったよ。
クラムボンは落ちこぼれだったよ。
クラムボンは東京には勝てなかったよ。
クラムボンは死んだよ。
ゴミと一緒に捨てられたんだ。
(名前すら知らない、絵を描く約束をしたとあるオッチャンに捧ぐ)
象少女

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
絵を描き終えた後、家主が来て言った。
「なんでオレが考えてるコト分かるんだよお!オレがスケベなコト、よ〜く知ってるじゃねえか!」
絵の内容について、家主から注文を受けて描くと言う事はしなかった。
「ここに来て、この家を見て、家主と話して、感じたことを描く」姿勢を崩さなかった。
それはオレたちが示す「本気」の態度だ。ボランティアなんかではない。
あなたと同じ、或いは、それ以上こっちも「命がけ」で生きて(描いて)いる、というコトだ。
ここの住民たちがオレたちを受け入れてくれた最大の「理由」だと思う。
はなから子供

武盾一郎・武陽子 合作 / 西口地下広場(参照)
これもまた随分初期の作品。
実はオレの妹も描いている。
どういう経緯だか知らないが何故か妹の「陽子(犬顔・陶芸家・大酒飲み)」も参加した作品。
花から奇妙な胎児が産まれているのは、一見豊かそうに見えるこの花のような日本から、
奇怪な人間たちがわんさか産まれてくるってことだ。
臭いものには蓋をするだけのこの国だ。その下では有象無象の怪物たちがどんどん繁殖するのさ。
いい意味でも悪い意味でも。
火をふくブタ

吉崎タケヲ 作 / 西口地下広場(参照)
火を吹いているワケではないのだが、どっかの新聞で新宿西口地下道で「火をふくブタ」など摩訶不思議な絵が描かれた段ボールハウスが出現した。。。
と書かれたので、そのタイトルにしてみた。
この頃、新聞や雑誌で取り沙汰された時オレたちの絵を形容する言葉が「摩訶不思議な絵」だった。
「シュール」なとか「サイケデリック」なとか「ニューヨーク」っぽいとか言われるより「摩訶不思議」と言われた方が嬉しい。
美人画

吉崎タケヲ 作 / 西口地下広場(参照)
タケヲの和古風な作品は沢山あった。これはその一つ。
96年の夏にオレが逮捕された後、オレとタケヲはコラボレーションで絵を描かなくなっていった。
いろいろあるが、お互いの絵の求める方向が違ってきたのだ。
無題

太田倫美 作 / 西口地下広場(参照)
ほんの一瞬だが4、5人で描いていた時期があった。
それはその時の作品の一つ。
「太田倫美」作
1995〜1998年新宿の段ボールハウス絵画は存在し続ける訳であるが、ホントにいろんなことがあった。
まず最初は「タケヲ」とオレで始める訳だが、徐々に増えて5人で描いている時期もあったのだ。
まあでも日常的に制作を長く続けたのはオレと「タケヲ」そして96年1月24日のホームレス強制撤去まで描いていた「ヤマネ」の3人である。
この作品はこれを描いた翌年ムサ美に進学した太田倫美(当時推定年令約19才・推定体重58kg)による作品である。
天使ぼうず

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
天使とお坊さんがミックスされている。
オレは仏教徒でもないし、どこかの宗教所属している訳でもない。でも、その土地や風土、お国がらの信仰は無意識の中に存在してると思う。
1300年も前から国力を以って広めた仏教だから、日本人の意識下にまで浸透してるのは当然だと思う。ならそれよりも、もっともっと太古の昔からあったはずの古代原始信仰はもっと人間の精神の奥底に広大に存在しているはずだ。
その精神の奥の方にあるはずの最も根源的な信仰とは何だろう。
絵や歌や音楽や踊りは絶対にそこから生まれているはずなんだ。
そんなことをよく考えたりしていた。
泣く鳥と裸婦

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
争い奪い合うのはいつも弱者どうしだった。
そんな悔しい思いを「泣く鳥」と安らかに横たわる「裸婦」に託した作品。
とにかくここの人たちはよく喧嘩をしていた。
どこにも怒りや悲しみをぶつける場がないからだろうか、仲間同士で流血の殴り合いが絶え間なく続いていた…。
オレはとても悲しい憤りを感じずにはいられなかった。
社会の負のエネルギーや気はヒエラルキーの最も下の人たちに押し付けられるんだよ。
押し付けた側は安全な場所から「優しさ」と「憐れみ」と「正義感」という差別意識で人権唱う。
上の方から見下ろしながら何か善行をした気になるんじゃねえ。
イヤラシイ偽善を振りまく前に、まずは料理の作り方でも覚えたらどうだ、タコ。
ここ地下道には人々が暮らし、血を流し、飯を喰らい、死んで行った様々な営みが染み付いている。
「臭いものにはフタ」みたいに小奇麗なショップ作って、表向きをキレイにしたからって、この地下道に渦巻く怨念と霊はずっと消えないだろう。
少年マンガで包まれた家

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
包むシリーズのひとつ。
少年マンガ雑誌で家をすっぽり包んでみた。
「Takewo」「Take」共作。
家を何かで包み込んむ作品をシリーズでやっていた。
英字新聞、少女マンガ、ゴミ袋、銀紙、週刊誌、等々…。
このマンガで包む作品しか写真にないのが非常に残念だ。
このような、いわゆる「絵画」以外の作品も結構あったのだ。
新宿梁山泊

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
劇団「新宿梁山泊」の為に作った段ボールハウス。
これもまたよく描き込んである絵なのだ。
制作は東京大学の駒場寮で行われた。現地で描いてない珍しい作品だ。
新宿梁山泊の公演会場に展示したのち、梁山泊の人たちがここ地下道に運んでくれた。
劇団「新宿梁山泊」さんに感謝。。。
極楽とんぼ

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
毎日毎日ラッシュに乗って、そんなにしてまで「守る」べき何かがあるの?
それを考える事を拒否して多数という波に乗っていれば「幸せ」なの?
労働が慣習だから労働してるんでしょ?義務だからやってるんでしょ?
あっ、そんな事すら考えた事もない程「脳みそ」使わずに生きて来たんだよね。
こっち(アウトサイド)は極楽だよ〜ん。
って言っている。
厭な事を我慢して辛抱すればやがて年上になり、そしたら「威張れる」!
という中学生レベルの上下関係こそ理性社会の基本なのだ。
能力主義とはもっとさかのぼって小学生レベルの「実力本位による上下関係」が基礎にある。
今のこの国は両方の「悪い所どり」をしているのだ。
アウトサイドしてしまえ。こんな国家から。
タフであればきっと生きていけるからさ。
目を持つ人

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
「目」を強調させるのは、 路上生活者たちの村(オレは”幻の王国”と呼びたい)をモノのように観ていく通行人達に「自意識」を与えたかったからだ。ストリートという「非個人」の場では何を観ても自分自身が匿名気分でいられる。
「お前の方こそ観られているんだぞ」
ということを分からせたかった。
この一連の絵画制作は「TAKEWO」とのコラボレーションがメインとなっている。
1996年1月24日ホームレス強制撤去の日までは「ヤマネ」も参加していた。
それは「ジャムセッション」の感覚に近いものだった。
オレは音楽の「うらやましい所(バンドとかみんなで一つの作品を奏でるなんてホントに素敵だ)」を絵に持って行けないだろうか?と考えていたのだ。
だからこの絵はさしあたって「ベースのチョッパーソロ!」のようなテンションで描いたのだ。
顔と顔

武盾一郎・吉崎タケヲ 作 / 西口地下広場(参照)
左側が「Take」
右側が「Takewo」
そう言えば「顔」が描かれて無い絵はほとんど無かった。
人がもっとも認識しやすい形体は顔だからだろう。
単純明快だ。
それに顔を描くのは、なんてったって楽しいのだ。
こんにちは

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
複雑に入り組んだ段ボールハウス郡の隙間から「こんにちは」と顔を覗かせるように作った作品。
とは言っても、段ボールハウスはちょくちょく移動する。分解もするし、継ぎ足して補強もする。
次の日来てみると、描かれていない面が表に出ていたりで絵で埋めて行く作業は永遠に終わりのない、果てしない道程だった。
結局オレたちは絵で100%この村を埋め尽くすことは出来なかった。
まさに未完の大作だったのだ。
逆さで泣く女

吉崎タケヲ 作 / 西口地下広場(参照)
この写真を見れば分かるだろうが、通常オレたちは背中にリュックを背負って絵を描いていた。
それは背後からの襲撃が恐かったのと、すぐ横だったとしても置けば盗まれるからだった。
実際オレはリュックを盗まれている。リュックをすぐ横の足下に置いてちょっと絵に筆を入れていた隙にだった。
中に入っていたのは日記と眼鏡と筆だったから盗んだ人はがっかりしただろう。
しかしオレにとってはとても大切なものだっただけにショックはでかかった。
手さげ紙袋に入れていたペンキも盗まれたことがある。まあ、ペンキだと分かっていたら盗らなかったのかも知れないが。
とにかく、盗まれたらあきらめるしかなかった。
だるまトーテムポール

吉崎タケヲ 作 / 西口地下広場(参照)
ここで制作されたのは「絵画」だけではない。
立体作品も結構創っていた。
「Takewo」はとても器用で、平面の絵ばかりではなく、立体造形もいいものを造る。
この他にも結構ここで立体作品を創っていたはずだが、写真がないのが残念だ。
トーテムポールには並々ならぬ興味があった。
原始信仰は「野蛮」で「幼稚」で「遅れた」人間だから産まれたのか?
違うな。
オレはそう感じていた。
むしろ、「進歩」と「進化」を信じて美しいものを蹂躙しまくっている現代の方が「野蛮」だ。
いや「現代」という抽象的な表現はよそう。「アメリカ的」と言おう。
戦争に負けたせいだと思うけどさ、いくらなんでも「アメリカ」に追随し過ぎだよ、日本は。
なんか利益があるンかも知れないけど、オレたち日本人ってあんなに「軽薄」な精神性、持てないだろ。
アメリカ的合理主義がそんなに「カッコイイ」ンか?
アメリカでカッコイイのはロックンロールが産まれたことと、スターウォーズがあることぐらいだぜ。
けど「ロックR&R」って黒人文化を搾取しただけじゃん。
それをオリジナル文化として強者の理論で売りまくったわけじゃん。ホントは「アメリカオリジナル」ではないじゃん。
それを「自分達の文化だ!」と言い張ってる。
多分その傲慢極まりない「野蛮」さがカッコイイのかも知れんけどさ。
「侵略」と「搾取」と「暴利」と「暴力」がアメリカのカッコよさでもあることは確かだ。
それに憧れた日本があるってのも確かだ。
「ロック」と「スターウォーズ」は許す。
けどよ、日本は何千年とある歴史があるんだからさ、もう軽薄で傲慢でデリカシーのかけらもない盗人な強者に憧れるの、よそうぜ。
線による絵画

吉崎タケヲ・武盾一郎 合作 / 西口地下広場(参照)
黒以外のペンキがほとんどない中からあみ出された見事な作品。
とにかくオレたちは貧乏だった。
しかし「オレは貧乏だ」なんて言ったら、「ふざけんなあ」と、ここに暮らす人たち殺されてしまう。
とにかくペンキがなくなってしまって、買う金もなくって、そこから「アイデア」が生まれたことは多々あった。
ペンキがなくなったら「泥ででも、何ででも描いてやる」気でいたから「苦しく」はなかった。
逆にこんな「ヒラメキ」を与えてくれた「苦境」に感謝しようぜ、なんて感じだった。
「希望」「欲望」「衝動」全てが絵を描くことに集約されていたから。
大頭

吉崎タケヲ 作 / 西口地下広場(参照)
「TAKEWO」一人による作品。
この絵のいきさつについては「TAKEWO」に聴いてみないと分からないが、彼女にしてみれば「カワイイ」作品である。
天女

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
「TAKEWO」の描写が冴え渡る逸品。
そう言えば、この絵を観ながら子供が「どう見てもニセモノに見えない」とよくわからない感銘の言葉を残していったことがあった。
オレたちはストリートで絵を描き続けた。まさにグレートなライブペインティングだった。
しかし「ストリート」ってだけでオレたちが美術的にランクが低いと勘違いしている「アート畑」のバカどもにはホトホト情けなくなるばかりだ。
技術的に言ってもオレたちはイッパシなのだ。「ヤマネ」は現在肖像画家であるし、「TAKEWO」は十代から魅力的な油絵を描いていた。
結局「東京芸大」出身がモノを言う。美大、芸大で固まって高飛車に「現代アート」ごっこをしてる。
無能な鼻クソオヤジどもは「芸術」だの抜かすくせに、結局売れる強者にへばりついていい気になっている。
醜さ極まりなく悲劇だ。誰も何も感じてないところも含めてまさに悲劇だ。
眠る人

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
わりと後期の作品だと思う。
人体の形が初期の作品からどんどん簡略化されて行くのが分かる。
よく絵が「恐い」とか「暗い」とか言われたが、平穏な感じの作品も結構あるのだ。
恐い絵という印象は絵画の描かれているこの状況をも含むからだと思う。
場所は新宿西口地下道、まさに「アンダーグラウンド」。
金の為でもなく、「描きたい!」という衝動のみで突き進んだ。まさに「アンダーグラウンド」。
アウトサイドしてしまった人たち、「ホームレス」と呼ばれた人たちの家、段ボールハウスに描き続けた、芸術という業界からは完全にアウトサイドしている芸術活動、まさに「アンダーグラウンド」だ。
断っておくが、いわゆる「アングラ」ではない。「アンダーグラウンド」だ。
「サブカル」ではない。「アンダーグラウンド」だ。
現実を直視できないから世の中を斜めに観て、必要以上にわざとひねくれてみて、ちょっと知的なテイストを加えて、スキマ産業的なマイナー思考で群れてはしゃぐ「サブカル」、「アングラ」ではない。
直球のど真ん中。
オレは「王道」をやってたつもりだ。
血と知

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
題名を絵に描き込んだ珍しい作品。
絵の題名を段ボールハウスに描き記す事は滅多になかった。絵の題名なんてどうでもよかったからだ。名前なんかより作品から沸き出す「何か」とか精神性とか魂とかの方が重要だ。
よっぽど意味として伝えたい事がある時に文字(言葉)を使った。
文字を使うととたんに通行人が気にとめるようなるから不思議だ。
絵にどれだけ想いのたけを閉じ込めても、文字ひとつ書いてある方を人は見るものなのだ。
意味の分からないものは見えないからなのだ。
この制作で、人はオレを「理解」しようとしたり、「その行為のコンセプトには反対だ」とか言って来たりするヤツらは多かった。
まず、「何かを感じたかどうか」なのだ。
意味はその後からついて来るものなのだ。
血を流したことのない知識人なんて全く信用出来ないものだ。
安全な所からペラペラ偉そうに喋るんじゃねえ。
あめとむち

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
今さらとなってはよく思い出せない作品もあるがそのうちの一つ。すっかり忘れている作品がどれだけあるかが恐い。
この当時、「一件壊されたら二件描く」の気持ちで描いていた。出来上がった作品に浸っている余裕もなかった。
描く行為そのものだけに全パワーを注いでいたので、「何を描いたか」というのがすっかり飛んでしまっているのもある。
1日と持たない段ボールハウスから1年以上もつ家まで様々だった。
仕上げるまで何日もかかった家から、1日で描き終る絵まで、オレたちの描き方もまちまちだった。
犬とブタ

武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 西口地下広場(参照)
これも随分と最初の作品だ。
実によく描き込んである。
いやあホントに丹念に描き込んであるよ、これ。
写真ではちょっと分かりにくいかも知れないが、3人でしきりに描写をした記憶がある。
シュールだとか言われたしその通りだとも思う。
だけど、日本の昔の絵や古典落語の方がもっとシュールだぜ。
言い様によっちゃあ、20世紀に入ってやっとヨーロッパもシュールが分かるようになったんだよ。
日本より遅れること数百年。
それなのになんで西欧主軸で考えるんだ?
おかしいんじゃねえ?特に「知識人」とか「文化人」とか「学者」とか「インテリ」とかって呼ばれてるヤツらよお。
自分のじいちゃんよりも白人の言ったことに価値基準を置くのか?
それってカッコ悪いぜ。
下書きらしきものが出て来たので新たにアップします。(Flash versionにはない画像)

バラと戦争

武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 西口地下広場(参照)
ヤマネ」初参加作品!
オレと「タケヲ」で描き始めて3週間。「ヤマネ」が参加するようになる。
この時は5人で制作していたのだ。
この後、養老の瀧で飲んだ。新宿の養老の瀧は24時間やってるし、安かったのでよく利用したもんだった。
酔っぱらって階段を昇って外に出ると、太陽にむせかる排気ガスとうるさい程の街の雑踏が出迎えてくれるのだ。
そしてオレはぐにゃりとネジ曲がった空間の中で、廃虚と化した大都市「東京・TOKIO」を夢想したりしたのだった。
幸福とは?

武盾一郎・吉崎タケヲ・上條久美子 合作 / 西口地下広場(参照)
幸福そうな顔を描きたかった。
「ホームレス」と呼ばれる人たちと「一般人」と言われる人たちと一体どっちが「幸福」なのだろう?
ホームレスは不幸なのか?オレはそうは思ってない。
ただ悲劇ではあるかも知れない。
かつて「辻仁成」氏の個展で「あそこにいる人たちは悲しそうな表情をしていなかった」と少し氏の想像と違ったことを話してくれた事があった。
1995年11月10日東京新聞の「本音のコラム」で辻仁成氏は段ボールハウスのことを取りあげ、光栄にも「(前略)芸術が高い敷き居の向こう側へ姿を消した今、青年たちは冷風が吹きすさぶ街の中へはっきりとした声を伝えようとしている。その声の寿命は短いが、しかし志は高い。」と書いてくれた。芥川賞をとる前の事である。
悲劇が露骨に集約されているような場所に暮らしている人たちは実は「すんごく陽気」だ。
「暗い顔」なんかしてられないのだろう。
暗黒や悲しみに自分の身を寄せようとする行為はそれ自体「幸福」であるコトを示している。
深刻ぶってるヤツは「余裕」なんだよ。危機感を煽り立ててるヤツらも実は「余裕」なんだよ。
騙されんなよ。
本当にキビイシイ状況で生きている人たちは「目一杯陽気」なんだよ!
その哀しみが解らずに深刻ぶってるヤツらを信用するなよ!
社会的にも、知的にも、精神的にも、金銭的にも、名誉的にも、もう這い上がれない庶民が毎日飲んだくれて踊っているのは「悲しい」からなのだ。
「飲んで歌って踊れ!!」
蛇ノ丸

武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 西口地下広場(参照)
蛇の「日の丸」
これもまた初期の作品だ。
「日の丸」がモチーフなんてなかなかよろしいではないか。
そりゃあ、真面目にこの国のこと考えたら、「日の丸」の存在についてを考えざるを得ないだろう。
無葛藤に「日の丸」振ってる光景を目にするたびにゾッとするのはオレだけではないだろう。
「君が代」だって、胸はって歌えないし、歌ったことすらない。
こんなんでいいのかなあとか思ったりもするよ。
でもよ、「君が代・日の丸反対!」って所で脳停止して、それを正義だと思い込んでいるのって時代を直視していないと思わざるを得ない。
だったらそれに替わる何かを考えなきゃ、創らなきゃ、話しにならねーじゃん。
オレは八百万(やおよろず)の神が居る日本は素晴らしいと思ってる。
でも、なんでそれが萬世一系の天皇に結び付くのかがマルでピンと来ない。
この島国には太古の昔から神々が宿り、言霊が咲き誇り、精霊たちが活き活きと棲む、水と緑の場所だ。
例え、中国的仏教の無情観や西洋的合理主義や欧米的自由競争や欧米的民主主義が入って来たとしても。
天皇を中心とする中央集権国家が出来たのがおよそ1300年前だとすると、その人工的で不自然な神を古(いにしえ)の自然信仰と融合させて辻褄(つじつま)を合わせたとしか思えない。
この国も欧米ばっかりを参考にしてないで、2000年以上前のこの島を参考にしたらどうなんだろう?
HOTEL

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
写真家、天才アラーキー氏の写真集に掲載された作品!
しかしよりによってなんでこの絵の段ボールハウスなんだ?
(他にもいっぱいあったのに)
ハラ立つなあ。
天才アラーキー氏は何回かここ地下道でキョロキョロしているのを見かけた。
(オレのコトは撮ってくれなかった)
ハラ立つなあ。
その後「路上写真展」ってのをやってた。ブロック塀を写真で覆ってた。
(オレらのパクリ?なんてそんなこと申しませんが)
ハラ立つなあ。
まあオレ無名だし、金ないし、権威的な賞もとった事ないし。
ちくしょーっ!
時計魚

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
これはかなり初期の作品。
写真があってホントに嬉しい。
時計の目玉の魚が泣いている。
その口にはネコがいて喰われているはずなのにどう言う訳か「ふてぶてしい」顔をしている。
なんか意味不明だか、こういうシュールなモチーフは結構多かった。
背景に遠近法を用いないのが一つのポリシーでもあったような。
ハートの顔 1

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
ここにはいろんなハート(心)があった。
心がむき出しの人たちという意味を込めてハートの顔にしてみた。
「良い人」ってのも「悪い人」ってのもいないと思う。
オレにとって「いい人」か「いやな人」だけなんだと思う。
対する総ての人間にとって「いい人」なんていないと思う。
まんべんなく薄くみんなに「いい人」であるより、一人でもいいからその人にとって「かけがえのない人」でありたいと思っていた。
けど、人から嫌われることに臆病だった。
なんとなく愛想ふりまく自分がいる。
また自己嫌悪に陥ったりする。
フラットに自分を愛せるようになったらどれだけ楽になれるか…。
そう思いながら、自分に、他人に、牙を向けては落ち込む毎日でもあった。
誰かに優しくされると、ひざの下が抜けたようになんだか「哀しい」気持ちになった。
でも、生きて行く勇気が湧いたりもした。
「死にたい」って思うのは、もうよそうって思った。
かえる

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
わりと何度も潰して出来上がった苦労作。
最初はハエのよう絵になっていたが、潰して描き直したりした。
この制作ではせっかく描写したものを「全て潰す」コトが多々あった。
理由は、「納得いかなかった」それだけである。
その場で感じたことをどれだけ「そのまま」顕せるか、なのだ。
安全な家の中で絵を描いたらもっと違うものが出来る。
「この空気」を一番大切にした。
オレたちの言う「リアリズム」とは、そういうことだ。
だからこの絵達は写真より写実より「リアル」なのだ。
この絵を描いている最中にとある英語圏人の若い男性がやってきてこんなようなことを英語で言ってきた。
「もっと意味のある絵を描きなさい。政治家とか都庁とか(みたいな)」
オレはすかさず「アイキャンノットアンダスタンドイングリッシュ、ジャパニーズプリーズ!(意訳:ここは日本だ。日本語でしゃべれ、白人坊主)」
外国人はオレたちの絵画活動を非常に高く評価してくれた。
「東京ジャーナル(英字情報誌)」では森村泰昌をおさえて「1996年ベストアーティスト賞」をくれたぐらいだ。
しかし、英語で話し掛けて来る。わんさかと。いちいち質問して来るのだ。
今思うと嬉しい出来事だけど、当時はうざくてたまらなかった。
ラテン系の人たちは良かった。
オレが描いている横で踊り出したりして「感じてくれた」
一時オレはTシャツに「I can not speak English!」と書いていた。
おがむ顔

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
仏教的なモチーフも結構あったと思う。
「不条理」や「人間の業」について考えざるを得なかった。
ここで宗教的なモチーフが出て来るのはとても自然だ。
親族や社会を「拠り所」と出来なければ何処を拠り所にすればいいのだろう。
「頑張ればなんとかなる。ダメなのは怠けているからだ。」
という見識は「嘘」としか言い様がない。
何をやってもダメなら「拝む」しかないだろう。
おがむ手

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
隣の「おがむ顔」と連作になっている。
「Take」作。
手の中には母と赤ん坊がいる。
赤ん坊は何やら挑戦的な目つきでこっちを見ている。
それはこれから産まれようとするものが現在の価値観をひっくり返して行く、という意志だ。
結論から言うとその志はことごとく打ち砕かれて、これら膨大な作品群は東京都に「ゴミ」として捨てられる。
この絵画活動もその価値を認められる事はないまま無視され続けている。
この絵たちが(例えネット上でも)生きて存在してる限り、再生と復活があることを、信じて拝むしかない。
ハートの顔 2

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
ハートの顔が気に入ったのか「第二段」。
多分もう幾つか描いたような気もするが、写真がないのでなんとも言えない。
オレがここで首尾一貫して云いたい「心」とは何なのか?
それはどうしても「アウトサイド」してしまう心が居ると云うことだろうか。
上手(じょうず)やって「溶け込めない」
愛想笑いで「付き合えない」
この仕組みがどうしても「好きにもなれない」
逆利用出来る程「器用」じゃない
博愛される程「器量」もよくない
ロンドンパンクのように云ってやりたい。
「テメーラ、社会が悪いんだよ!」
色海

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
抽象的な感じに描いてみたかった。
この頃、曖昧なんだけど何かある。みたいな雰囲気を出そうとした作品が幾つかあったはずだ。
シャガール大好きだし。
抱き合う男女が描かれいるのだが分かるだろうか。
扉

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
段ボールハウスの出入り口の作品。
塗りと線だけで単純化させて描いて行くということも結構やっていた。
ペンキが無く、色が1〜2色しかない時などはそうなる事が多かったかも知れない。
「こう描きたいからこう仕上がった」という場合より、現状の中で生み出したものが多かった。
画材を盗まれて細い筆しか無かった時は細い筆でしか描けない絵を描いたし、黒しか無かった時は黒だけで描ける絵を描いた。
「青と黄色と赤と白が無い」と解釈するのでは無く、「黒がある!」と解釈するのだ。
そう思うだけで随分と絵が変わる。
これは統べてにあてはまる。
例えば「手持ちが350円しかない」と思うのではなく、「350円あるぞ!あと10円拾えばワンカップが二つ飲める!」と思って、新宿をうろつくと100円を拾ったりするものなのだ。
人

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
手を握って「人」の字を作ってみた。
この作品を描いていた頃だったろうか、不意に背後から「タケヲ」に近寄って来た人がいた。
「タケヲ」の体に触れたような気もしたが一瞬の事で分からなかった。
少々びくつきながらポケットをまさぐってみると千円札がねじ込んであった。
お金をくれたのだ!
オレとタケヲは呆然とした後、後を追おうとしたが、その人は新宿地下道の圧倒的な人込みに紛れて消えてしまった…。
背中を見せて丸腰で描いているオレたちはいつも後ろから襲われる恐怖を感じていた。
ペンキ缶を蹴っ飛ばして行く奴、つばを吐いて行く奴…、いろんな目に合ったが、「人」っていいなあ、と思ってしまう出来事もいっぱいあったのだ。
大首絵

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
大見得を切って生きて行きたいもんだ!
「みえをきる」直前の「ため」の状態を描こうとしたのだが、東京ジャーナルでは「虫で痒くて首を掻いている絵」として紹介されていたようだった。
まあ、観た人の解釈でいいんだけど、面白いもんだ。
観た人の考え方が分かる。絵の素晴らしさはそういう所だ。
いろんな人がオレたちに感想を述べて言ったが、なんだか感想を述べた人自身の事を言っているように聞こえた。
「あ〜らステキねぇ〜」と言っていたおばさんはそんな気分だった感じだったし、「こんなしみったれたクズみたいな絵を描くのは止めろ!」と威張ってきたオッサンは背広こそ来ていたが貧相極まりない顔をしていた。
オレは心の中で「自分の事言ってら」とほくそ笑んでしまったのだ。
絵は観た人の心を写し出す鏡なんだよなあ。
「蛇と女」「フェラチオ娘」

吉崎タケヲ・武盾一郎 合作 / 西口地下広場(参照)
エロスシリーズ!
横向きの女性が描かれた家。となりの家には男性が描いてあり、そのおちんちんをくわえている、という家と家の連作なのだ。
これでは良く分からないのが残念だが。
遊廓

吉崎タケヲ・武盾一郎 合作 / 西口地下広場(参照)
下の「ぼたん」の通路側の絵。
「Takewo」メイン。
すぐ下の絵「ぼたん」の通路側の絵だが、分けてみた。
ちょっと写真が見にくいのが残念だが、都庁から歩いてくると強烈に目に飛び込んで来る逸品であった。
細部もよく描写されていた。
これを描いている時、若い韓国人観光客が4,5人はしゃいでフラッシュをパシャパシャとはしゃぎながら記念写真などを撮っていた。
写真を撮るのは構わないが、はしゃいでるのが気に喰わなかった。
若者がこの村にカメラを向けてホームレスのおっちゃんから殴られたりすることもあった。
絵を描いているオレの行為が産んだここへの不作法なだけに非常にやりきれない思いだった。
ぼたん

吉崎タケヲ 作 / 西口地下広場(参照)
裏側にもここまで凝って描いているというのが良く分かる作品。
この絵は実は外(通行人)からは見えない。
見える面には遊廓をモチーフとした力作が描かれている。
見える所だけ力を入れるイマドキの合理的な人間ではこういう制作は絶対に出来ないであろう。
「TAKEWO」の絵の上手さを垣間見れる作品だ。
クッキ的顔

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
「TAKEWO」がメインで描いた「顔」に対抗(?)して描いた、小さい作品。
エンツォ・クッキが降りて来た気がしたので一応「クッキ的顔」という題名にしてあるが、描いていた当初にこの題名があったワケではない。絵の題名はその家主の名前がふさわしいからだ。
この制作で自分達の絵に「題名」を書き入れたものはほとんどなく、「サイン」は全くしなかった。
オレはオレの名を知って欲しかった訳ではない。
「「絵とは何か」という答えの一つがここ新宿の地下道にあった。」
という事実が、多くの人たちの「記憶」と「感性」と「心」と「理性」に残って欲しかっただけだ。
人間は「商売」の為に生きている訳ではない。
「絵画」はそもそも「商品」ではなかったはずだ。
「アート」はそもそもテメーの名前をトドロカスために生まれた訳じゃあない。
「サイン」をしないのはそう言った理由からである。
エリートだといろいろできていいですね。
あいつらの偽善とインチキを証明しながらちゃんとやっていきますよ。
顔

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
TAKEWOメインの作品。
大小、濃淡、さまざまな円のみで顔を表す。
けっこうそのまんま美術的なアプローチだがスッキリしてインパクトのある作品だ。
小顔たち

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
ポスターやステッカーが貼ってあった段ボール面だったので、ステッカーみたいに描いた作品。
「Take」作。
もの凄く「顔が恐い」オッチャンがここいら辺に住んでいた。
何かを持ってこっちに向かって怒鳴っていたので、殴り掛かって来るのかと思った。
もの凄くビビリながらもなんとか振り向くと、手に持ってた物はジュースでそれを差し出してくれたのだ。
それ以降もそのオッチャンは何度か差し入れを持って来てくれたけど、やっぱり恐かった。
顔と声のインパクトってあるよなあ。
童顔もキツイけど、恐い顔ってのも大変だったろうなあ。
月のもとに罪を問う

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
なんか不思議な感覚がオレを取り囲み、そのままスピーディーに神秘的に仕上がってしまった作品。
ここでオレたちは1995〜1998にかけて絵を描いていた訳だが、「絵を描いた(自分の想像力と才能で創造した)」って感覚よりも、不思議な力によって「絵を描かされた(何て言うのか、オレ自体は単たる媒体でオレの理解範疇外の何かを形つくるよう動かされただけ、みたいな)」感覚だった。
「自我性」を放棄してしまう日本人特有の感性がそう言わせてるのかも知れないが。
しかし、「不思議な力」を感じたのは確かなんだ。
信じてくれとは言わないが、そうとしか言い様がないのだ。
別に霊感がある訳でも無い。
実際ヒュードロドロと現れる「幽霊」と遭遇した事は一度もない。
でも何か居たんだ。
オレはそれを「精霊たち」と呼んでいた。
目に見えるのではなく「感じる」ものだった。
彼(女?)たちはとても弱く繊細でいながら、オレたち人間をよ〜く観察している。そしてそこにシステムが敷き詰められ、心無い人間がドカドカと踏み込んでくると、あっさりと死んでしまう。
精霊が死んで居なくなるとオレは絵が描けなくなってしまう。
そういった印象だ。
特にこの絵を描いている時はとても奇妙な感覚がオレを支配した。
この絵を完成させて後、家主はオレに怒って来た。
「オメーの描いた絵が夢に出て来るんだよ!どういうことだよ!気が変になりそうだ!オレを殺す気か!」って。
ここの家主はちょっと恐い人だった。そんな恐い系のオッチャンが狼狽して言って来たのだ。ラリってたのかも知れないが。
そのおっちゃんはその後オレに対してはとても優しくしてくれた。
なんとも奇妙なエピソードだけど。
般若と台所

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
ザイン性、描写、共に非常に良いです。
これ、なかなかの傑作!
般若が包丁を握り血が流れている。
袴のシルエットにはキッチン。
よ〜く眺めているといろいろな物語りが見えてきそうな作品である。
食にまつわるモチーフはやはり結構あったと思う。
とにかく一人で食事をするのはどんなに金持ちであっても貧しい行為である、ということをここで痛感した。
どんなに貧しくても食事を共にする人がいることは「豊か」であるのだ。
仕事や勉強に勤しんで自分を精神的経済的に成り立たせているんだろうけど、一人で食事をしているなら、それは悲しいことだよ。
点数を上げる事に躍起になる価値観より「たった一人で飯を喰わない」ことを重んじる方がいいと思う。
蜘蛛男と女

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
赤と黒のペンキしかなかった時に生まれた「名作」。
この時ペンキは赤と黒しかなかった。だから赤と黒で描かれている。
上からのしかかる蜘蛛男が下の女に米粒を一粒与えようとしている。
蜘蛛の巣に引っ掛かった女はその米粒を拒絶する。
これはオレはあきらかに意図的に描いた。
「東京都とホームレス」の関係なのだ。
東京都は一見おいしそうな保護対策を発表する。例えば収容所だ。
しかしそんなもんは役に立たないのだ。
蜘蛛男が女においしい米粒を与えようとする。「ほうら美味しいごはんだよお」って。
その女が食べたとしても、最終的には蜘蛛男に喰い殺されるのだ。
重要なのはその蜘蛛の巣から逃れることなのだ。
花

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
内在する狂気が昂って行く様を描きたかった。
オレは当時「花」が嫌いだった。
なんで人は「花」なんか見て喜ぶのか分からなかった。
「花」はいつもオレの内在する狂気を揺さぶりかけて来る電波のように感じていた。
「花」を眺めていると全てを「破壊」したい衝動が込み上げて来る。
「自殺したい。」
「人を殺したい。」
どうして人はそんなに平気で「花」なんか眺めてられるんだろう?
「花はキレイ」っていう先入観がきちんとあれば、
「花は狂気を増幅させる危険性のあるもの」っていう本質を見なくて済むもんな。
花って絶対「グロテスク」で「危険」なモノだぜ。
LIFE IS REAL

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
マイクロソフトのロゴマークがデカデカと書いてある段ボールを使用している。
家主は別にそんなことどうでもいいのだろうが、東京の地下の路上生活者アナログ王国にまでマイクロソフト社が進出していると思うとなんだかやりきれない思いが込み上げて来る。
巨大資本とホームレスはむしろ密接なのだ。
「 Life is Real 」という題名はクイーンの曲名からとった。ジョン・レノンに捧げられた歌だ。
人生とはまさに現実的だ。
現実はいつもなんて皮肉なんだ。
オレはこの地下都市で本当にそれを感じていた。
ブリッジするふたり

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
詩と絵のコラボレーション。「TAKEWO」と「オレ」の二人が絵、詩両方手掛けている。
普通「絵」「詩」の作品を二人で創るならどっちかが「絵」、どっちかが「詩」というふうになるだろう。
しかし、オレたちは違った。
一つの作品にお互いの作業の境界線がなかったのだ。
ただし、作品によってオレがイニシアチブをとって完成させていったモノ、「TAKEWO」がコンセプトの方向性を決定づけながら仕上げていったモノ、といったふうな役割はあった。
が、「分業」ということはしなかった。全部共同作業でやった。効率は悪いが、強烈な作品は出来上がる。
仕事をし始め「何か」を忘れてきちんとした大人になると絶対にできないのが、境界のない「コラボレーション」である。
そう思うとつくづく貴重な制作だったと思うのだ。
この作品はどちらかというとオレよりの作品である。(多分)
碧の家

吉崎タケヲ 作 / 西口地下広場(参照)
きっとこの時この色しかなかったのだろう。
妙に「ヤバさ」を感じさせる作品。
この作品の仕上がりを観た時、なんだかとても胸騒ぎがした事を覚えている。
なぜだかは解らないが…。
牛と顔

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
牛が地中から生えて来る顔に頬を寄せている。
横面の顔は武作。
地面の中に囚われの身となってしまった人間を哀れんでいるかのように牛がほお擦りしようとしている。
自由になれないもどかしさを描こうとしたのか。
地中から這い上がりたくても、明るさが恐くて顔を上げられない。
うだつを上げたくても、努力の仕方がわからない。
出世したくても、どれがチャンスだか分からない。
成績を上げたくても、頭が悪くて成績が上がらない。
輝きたくても、醜いから輝けない。
飛び立ちたくても、羽がない。
伝えたくても、言葉が出て来ない。
いろんなもどかしさの中でオレは生きている。
でも、見守ってくれている「何か」はいるような気がする。
注意しないと見過ごしてしまう程かも知れないけど、幽(かす)かな「希望」はあるんだよ。
そう言い聞かせて絵を描いていた。
幼虫

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
家の面で「TAKEWO」と「オレ」の描く場所を区切った作品。
幼虫の顔の面はオレ。
幼虫の身体の面は「TAKEWO」
嘘だ!

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
珍しく白バックになっている絵。描写も丹念だ。
ねじれながら「嘘だ!」と絶叫する姿はここそのものであり、オレ自身でもあった。
この作品はこの新宿での記念すべき第一作品「ゴルゴ13的人面魚」の家主が突然オレに殴り掛かってきたことが重要なモチーフとなってしまっている。
なんでだ?
嘘だろう!?
そんな気持ちだった。
その後何度かオレはその家主から地下道から追い出される。全く理由も分からず、不条理な気持ちで一杯だった。
精神的に「ここに通う情熱が絶たれた」と言っても過言ではないくらいショックだった。
オレはその直後、一旦神戸に向かう。
そしてオレが神戸のテント村のコンテナに絵を描いている間に「新宿西口地下道段ボールハウス絵画村」に大火災が起き、地下王国は滅亡したのだった。
驚いた!

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
不条理な現状を肯定しようとしていたんだ。
「絵を描くんだ!」と正直に絵を描いて行ったら逮捕されて22日間も檻に入れられ、
1日12時間絵を描き、ここまで絵を毎日描いていれば、みんな少しは認めてくれるだろうと思ったのに、美大、芸大出身者たちには嫌われ、
都内の某ギャラリーのオーナーに直接面と向かって「新宿で描いている武と言う者です」と申し出てても、「電話でアポ取ってから私に話し掛けて」とあしらわれ、
「あなた芸大出身でしょ?」と興味津々に近寄ってきたスーツ姿のお姉さんに「どこの大学も出てません」答えたら、そっぽを向かれ、
なぜか倒れて入院してしまい、
いつも悔しく思いながら絵を描いていた。
「いつか見返してやる!」と、誰に対して、何に対して、憤ってるか分からないが、そんなもどかしい思いで胸が一杯だった。
お日さまと音楽

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
地下に居ながら太陽を描いた珍しい作品。
太陽をイメージに持って来ることはほとんどしなかった。
どちらかと言うと「闇」「水底」「閉ざされた空間(洞くつ、子宮、などなど)」が絵画世界の根底を流れていた。
「そこから一筋の光を求める状態」を描いていたのかも知れない。
「光があるから影がある」という考え方より、
「光とは、広大な闇の中で絶叫するほんの小さな瞬きである」というイメージを持っていた。
サメと食卓

武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 西口地下広場(参照)
平面性を意識した不条理絵画。
なかなかよいですね。
写真ではちと分からないが顔などは実によく描き込んであるのだ。
「ロシアアバンギャルド」の天才兄弟ステンベルク顔負けの和風な「デザインセンス」も見どころだ。
実はわりと「喰う」ことに関する絵も結構描いていて、これもその一つ。
オレは料理が作れないくせに人権だのなんだの抜かすヤツらを信用しないことにしている。
もしそいつが男なら料理は「女」か「産業」に作ってもらうことになる。
もし「女」に料理を作らせているなら、その男がどんなに「人権」を唱ってもなんの説得力もない。
もしフェミニズムに影響され、調子に乗って料理を作らない女がいたとするならば、食い物は買うか、誰かに作らせることになる。
それは結局、資本主義の構造にベッタリと依存していることになるし、誰かに助けてもらわないと飯すら食えないということになる。
それは「女の自立」とは程遠い。
命を繋ぐ「食い物」、材料から作るのはちと無理だが、せめて喰うもんくらい自分で創作出来ない人間に「思想」などない。
そう言えばここ地下道には旨いものをつくるオッチャンたちが一杯いた。
まめ

武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 西口地下広場(参照)
人体はいくら描いても飽きないものだ。
実を言うとオレは「風景画」が描けなかった。魅力も感じなかったし。
ただ「ウィーン幻想派」や「スペインリアリズム」や「シュールレアリスム」などで描かれた風景はスンゲエ好きだった。
あーゆー観るものを「とりこ」にする風景を描きたい、と思いつつもオレの技量では無理だった。
悔しい。いつか描いてやる。
しかし、この絵で気まずかったのは「ひっくり返った生首オヤジ」の絵が家主そっくりになってしまった点である。
酔生夢死

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
オレが大好きな言葉のひとつを絵に入れてみた。
そう言えば牛もよく出て来るモチーフなんだが、オレの中では「平和」とか「安らぎ」とかの象徴なのかも知れない。
オレから復讐心を奪ったら努力する気持ちの9割は消えてしまうだろうなあ。
でも心のどこかでは「努力も何もせずに穏やかにノホホンと過ごしたいなあ」なんて思ってたりもする。
人間が桃源郷を夢想したのはこんな気持ちからなのかなあ。
「胡蝶の夢」のような、くらくらする不思議な感覚をそういえばこの地下道ではよく感じていた。
月に寝る

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
途中の作品。
思いっきり途中だけど、どう言う訳かこれ以上、加筆しなかった。
平和になりたい

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
平和になりたい。
心の中で荒れ狂う憎悪と悲しみと怒りよ、消えてくれ。
とにかく自分の心が平和ではないのだ。
コンプレックスを克服しただと?
嘘をつけ!
どんなに努力して自分を変えようとしたって自分の劣等感から逃げることは出来ないじゃないか。
何を手に入れても変わらないんだよ。
オレはナイフの換わりに筆を持つ。
心が平和になることを望みながら、変えようもない苦しみにナイフを突き刺すんだ。
殺せ!殺せ!と叫んでいる。
殺す相手は自分なんだ。
ナイフの刃先を自分の心に突き立てて。
刺せ!刺すんだ!刺し殺せ!
そんな言葉を連呼しながらオレは絵を描いていたりする。
描いている時に近寄ってみたら「畜生め!畜生め!」と口走っているオレを観た人もいるかも知れない。
ハルの絵

えもりはるひこ 作 / 西口地下広場(参照)
一回だけ描きに来た現在紙芝居師「えもりはるひこ」の絵。
武盾一郎、吉崎タケヲ、山根康弘の三人以外にもここに描きに来た人たちは結構いた。
その中の一人「はる」が描いた絵。「はる」は「イトヒサ」とふたりで1996年にここ地下道にやって来たのだ。
二十歳行くか行かないかの男の子二人組だ。
このくらいの年代はいいね。
右翼だとか左翼だとか知らないし、表現と反体制が直結してしまうコトとか考えてないしね。
直感なんだよね。
ただ、危険なのは、ていよく強者の都合に流されている状況に気づけないってコトだよな。
大体、「近代」というシステムを導入しているコト自体にオレは違和感を感じるよ。
坂本竜馬は確かに偉人だと思うけどさ、幕末から明治時代初期の歴史で開国派だけを「正義」として教えてるこの国の史観自体「気色悪く」ねえか?
日本人の性根ってそんなにヒヨワだったんかねえ。違うと思うなあ。
確かに「欧米列強には力では到底勝てない」。
そんな中で「苦渋、そして屈辱と恐怖の選択」として開国したんぢゃねえのかなあ?
オレはそう思うけどなあ。
「腐敗しきった江戸幕府政治から、栄えある近代国家樹立としての開国」ってウソくせえよなあ。
それから「卑劣極まりない国家神道天皇制から民主主義へと華麗なる変貌を遂げた戦後の日本」って言うのもウソ臭えよなあ。
戦争に負けたからって「ケロ」っと連合国側の都合を神のように崇める史観ってなんなんだよなあ。
さらに「テロのない平和とグローバリゼンションへの21世紀だ」っつーのもウソ臭えよなあ。
結局、これって全部「強いもの」が「侵略」してるに過ぎねーんぢゃねーの。
下らねえ右翼だの左翼だのって言い争いは、いらねえ。
でもよ、無知蒙昧に強者の敷いたプロパガンダに何の屈託なく頷いちゃあ、いけねーぜ。
イトヒサの絵(2)

鷹野依登久 作 / 西口地下広場(参照)
96年の夏に描きに来ていたイトヒサの絵。
イトヒサはアクリル絵の具で描いていた。
チューブの絵の具を沢山持って来ていたが、段ボールの巨大なキャンパスではあっという間に画材が無くなった事だろう。
ちなみに当時の髪の毛は緑色で、のちに真っ赤になっていた。
イトヒサの絵(1)

鷹野依登久 作 / 西口地下広場(参照)
96年の夏に描きに来ていた鷹野依登久の絵。
96年、いつものように新宿の地下道で絵を描いている時だった。
幼い顔をした男ふたり、イトヒサとハルはオレの所に来て「絵を描かせてほしい」と言って来た。
その言葉があまりにもたどたどしかったのでオレはてっきり「知恵おくれ(差別用語か…、じゃあ何と言おうか、脳に障害があって社会人としてちょっと難がある人(こっちの方が差別っぽいなあ…))」だと勘違いしてしまった。
別にオレがここを仕切っている訳ではないので、描きたい所があったら自分で家主たちにことわって描きなよ、みたいな感じで返事をしたと思う。
「イトヒサ」こと「鷹野依登久」は現在、SWAMP-PUBLICATION主宰。自主制作アーティストブック等をプロデュースしている。
この当時18歳。
土偶

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
その後、絵の上から段ボールを補強した写真しかないのが残念。
弥生文化より縄文文化に対してロマンを感じてしまうのはオレだけだろうか。
自分達は宇宙からやって来たと言う史観を持ち、自然と調和し、高度な文明を持ち、ユーモラスな造形感覚を持った人たち。
だからと言って太古の生活に戻ることは出来ないよなあ。今よりずっと恐ろしい世界だとも思うし。
いわゆる原始人の格好とか野蛮なイメージが付きまとうが、案外洗練されてた気がしてならないのだ。
大体、太古の人間が劣っていて今の人間の方が優れているって考え方って変だぜ。
「進化」っていう妄想はもう捨てた方がいいんじゃねえのか?
「進化」ってもともと西欧の思想だし。
アフリカや南海洋諸島の人間は太古の生活を守っているから「遅れている」って、変じゃねえか?
逆じゃないのか?
日本人が白人の真似して来て100年以上経つけど、いいことあったんかなあ?
白人の真似して「近代国家」仲間入りしたがってさあ、白人の真似して侵略しようとしてさあ、白人の真似して戦争してさあ、白人は自分以外が侵略行為をすることは許さない傲慢な連中だから「日本人のサルごときが我々の真似をするな」と原爆落としてさあ。
その後も、白人を追随して、自らの伝統をことごとく破壊してさあ、日本の神々を葬り去ってさあ、精霊たちを殺しまくって、白人の真似して金儲けてさあ。
白人は自分以外が金儲けをするのを許さない傲慢な連中だから「日本人のサルごときが金を儲けるな」とバッシングして金儲けも失敗してさあ。
繊細でまろやかな美感も捨ててさあ、西欧の脅迫観念的に徹底されたモノを美しいとしがみついてさあ。
何かいいことあったんかねえ?
宇宙とうさぎ

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照)
ちょっとシュールに。
二人の合作だが、タケヲがメインの作品。
ここの家主はオッサンではなく「お兄ちゃん」だった。
そのせいなのか絵もなんとなく「かわいい」。
表現って「強烈にひとりよがり」である必要性ってあると思う。と同時に、「強烈にエンターティメント」である必要性もある。
一見矛盾しているんだけど、両方必要なんだよなあ。
頑固である必要はあるけど意固地になってはいけないし。
でも、やっぱり「売れる」か「賞」をとるかしないとダメなんだろうなあ。
芸術って言うけど、結局「金」と「名誉」を手に入れて見返したいんだよなあ、本当は。
その夢は遠いと痛感して「生きる望み」の全てを失っても、結構生きて行ったりするんだよなあ、それなりに「幸せ」を見つけたりしてさあ。
でもやっぱり、「悔しい」と感じる自分が居て、とっても辛いよなあ。
うまくやってるヤツらに嫉妬して、悔しくてのたうちまわったり。
でもさ、だんだんあきらめも入って「悔しい」とも思わなくなる自分もなんだか厭だよなあ。
とか言いながら、今はそれでも結構幸せだと思ったりするよ、なんて、ちょっと悟ったフリしたりして。
生きてるから苦しいんだ、けど、そんなことより「生きたい」欲望が勝ってるンかなあ。
どんなにショボイ人生だろうとも、「生きていたい」んだろうかなあ。
そんなような気もするけど。
オレってやっぱダメなのかなあ。何やっても浮かばれないのかなあ。
大体「才能」あんのかなあ?
「運」もないといけないしなあ。
金持ちの家庭で、両親は離婚してないでふたり揃っていて、愛をたっぷりと注がれて幼少期を過ごしてないと、ダメなのかなあ。
毎日頑張ってるつもりなんだけど、やっぱダメなのかなあ、オレ。
普段こんなことを思ってたりするオレってやっぱダメ人間なんだろうかなあ。
悔しいなあ。オレってバカだなあ。
クソー!
頑張るぞ、見返してやるぞ。
負けるな。
公団育ちの貧乏人だって、片親だって、やりゃあ出来るんだ。
十代がジミな人間だって、やりゃあ出来るんだ。
運動音痴だって、やりゃあ出来るんだ。
なめやがって、みんなオレをナメやがって。
クソー、頑張ってやる。
吉野屋

武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照)
吉野屋の牛丼の段ボールハウスで作られた家だったので「吉野屋」という名前にしてみた。
なかなかシンプルで力強い絵だ。
家の形がちょっと変わっていて四角くなかったのできっとこんな絵になったのだろう。
ここ京王新線に続く地下道の段ボールハウスは夜になると移動しなければならないため、折たたみ式になっている。
この場合、住人の回りを囲むような設計となっている。
だから周囲が丸みをおびていたり、高さが前と後ろで違ったりいろいろしていた。
そのせいもあるのか家丸ごとで一つの絵を描くと言う感じだった。
前と後ろからのカラー写真を見てもらえば分かるだろうか。
狼少年と父

武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照)
これもまた、ちょっとした「現代鳥獣戯画」。
この頃「下着」を見せてパンツはズリ落として履く、のが流行っていた。
今思うと奇妙な流行だけど、江戸時代も「イキ」な着物の着方は「どう着崩すか」だったようである。
「だらしなく見せる。」という着こなしは洋の東西、現在過去において共通している「イキ」のようである。
そう考えると、ここ新宿の地下に住むオッチャン達は「スペシャルにイキ」に着こなしていることになる。
だまし絵

武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照)
床がそのまま続いているように描いたのだがそう見えるだろうか?
「だましえ」
オレの事、誉めるなら、「金」をくれ。
オレの事、けなすなら、テメエの身も危険にさらしてくれ。
オレの事、無視しているなら、この制作が評価しだされてから近付くな。
人生快速ゆとり号

武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照)
移動式段ボールハウスをそのまま電車としてペイントした。
京王新線地下道の最高傑作!
地下鉄への地下道にラッシュにあえぐ人を描き、その電車から落っこちる中年サラリーマンを描く。
行き先は「豊かな日本」。
満員電車は皆がいがみ合い、子供達は不気味に笑う。笑う先は形相を変えてひっくり返っているサラリーマンの哀れな姿だろう。
ハリボテ車掌の横にいるのは「ジョバンニ」か「カンパネルラ」か。
そう、この電車は死者を運ぶ銀河鉄道なのだ。
豊かな日本目指して。
産業

武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照)
絵巻ものシリーズ!
なんかよくわからんがしかしよく見るとまた細かいところまで手が込んでるなあ。
麦わら帽子の子供が工場近くの空き地(埋め立て地か?)で砂遊びをしているようだ。
向こう側には巨大な工場とビルか?
見上げた空には女の人の顔から雲が吐き出されている。
さらに左端には手を縛られて目隠しをされている裸婦がいる。
オレは強迫観念に満ち溢れていた。
まず自分に対しマイナス要因(ダメ人間だとか、価値低いだとか、遅れてるだとか)を持つ。
そしてそれを「克服」していく事を理想とする価値観だ。
ほとんどの事が克服できなかったので、すっかり劣等感の塊になっちまったのである。
この劣等感がますます自分を責めたてていく。
現実の自分の惨めさに、「さよなら逆転満塁ホームラン」といった、ほとんど宗教的奇蹟を願う気持ちを持ち合わせるようになるのだ。
絵画はその絵の中でまさに宗教的奇蹟と呼べるものを引き起こしてくれた。
偶然に産まれる形、自ら造る形、そして当初予想だにしなかった仕上がり、そしてその奇妙なまでの偶然の必然性。
絵に限った事ではないだろうが…。
足

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照)
平面的にペタッと描く。
これは「日本人の絵画」だ。
オレたちが絵画的に目指していたものは「平面性」である。
浮世絵をはじめとする日本の絵のデザインの良さ(平面性)を取り入れようとしていた。
それと、光と影から産まれる立体性、をうまくミックスして「日本人」ならではの絵画を描くぞ、と思っている。
いろいろな「試行錯誤」がこの段ボール絵画をよりいっそう面白くさせている。
とは言うものの内心「失敗したなあ〜」って思うものもあった。
でも、そこはみんなで補いあって完成まで辿り着かせた。
とにかく「いい絵」になればよいっていうことでやってた。
なかなかそう思われないけど。
まえむき

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照)
後ろ向きで「まえむき」
一発ギャグ的な発想で描いたのだろう。
ちょっと笑える摩訶不思議。
緑砂漠

武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照)
緑色の砂漠なのか海なのか。
恐らく多くあるのが緑色のペンキだけだったのでバックを緑にしたのだろう。
化石のような恐竜、ライオンの死骸らしきものが水に浮いてるようにも見える。
光のさすところに何かが描かれているようであるが、何を描いたのかは思い出せない。
新宿もまた荒涼とした砂漠のようなものだと言いたかったのかも知れない。
ただこの時の制作は「感じたことを形にして行く」以前に「これだけしかない材料の中で何が描けるか」といった状況の中から生まれて来るものの方が多かったと思う。
素晴らしい色彩やモチーフやアイデアがあっても、金がなくてペンキがない。
画面も四角くなく、長細かったり、デコボコだったり不定形だし。
「事前のアイデア」なんて役に立たないのだ。
「その場で」「その状況から」「ゼロから」作る勢いと力が必要なのだ。
上手く行くとは限らないというプレッシャーとも闘って勝たなければならない。
こんなことをほとんど毎日休み無しでやり続けていたなんて今思うとちょっと「狂気」だ。
黒砂漠

武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照)
ベタ塗なのに空間を出そうとた作品。
今こうして見て思うのだが、この当時「平面性を用いて空間を出す」ことにけっこうチャレンジしていたんだなあって。
これもその一つ。
形態でくくって面塗りをしてしまう。
バックも基本的にベタなんだけど空間感を出す。
漫画だ。
多分漫画の技法だよな。って漫画家じゃないから分からないけど。漫画家の人が見てたら教えて欲しいなあ。
オレがガキの頃は「ぬりえ」をすると良くない。なんて教育された。
線で形を表現するのすら軽蔑されていた傾向にあった。
西欧の芸術(といってもルネッサンス以降ってことだろう)の法則が良しとされ、日本の最も得意な「線」と「平らな面」が侮蔑されまくっていたのだ。
ひでえ話しだ。
まあ、今でも欧米のケツにしっぽフリフリしがみついて喜んでるのが近代民主主義国家日本様なんだろうけどよ。
蟻と少女と父

武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照)
見ごたえ充分「和製シュール」
パースペクティブの無視、というか「絵」を三次元的に見るのが通常となった現代だからこそ「不思議」さを感じることができる絵である。
人体の単純化、ディティールは写実描写、と実に丁寧な作品である。
家

武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照)
家とは何?
そんな問いかけをしたかったのだろう。
酔っぱらったオヤジの吐く息には悪魔がいる。
心と書かれた暗いマンホールの穴に落ちようとしている。
後ろ姿の割烹着のお母さんは恐らく亭主のだろうネクタイを包丁で切り刻んでいる。
女の子が人形を同じく包丁で切り裂こうとしている。
胸を開いた男の内部には「家」の文字が。
そしてその影は鳥カゴになっている。
男の子が ひとりぼっちでカレーをつまらなそうに見ている。お茶碗が倒れたのも気付かない。
キャリアウーマン風の女性の足元には泣いている黒い影がいる。。。
オレの思春期は「努力」と「真面目」がもっとも軽蔑された時代だった。
掃除とかを真面目にやってると「ブリッコ(凄い懐かしい単語)」などと呼ばれた。
「ツッパリ(再び凄い懐かしい単語)」と呼ばれた連中がハバをきかせていて、彼らに目を付けられないように目立たないようにする必要もあった。
「勉強が全てではない」と教えるけど、進学は偏差値の縦割りだった。
この世は嘘だらけに感じた。
せめて不良にでもなれればよかったが、そんな度胸もなかった。
アメリカのヒットチャートとクラフトワークとピンクフロイドとビートルズの音の中だけがオレの居場所だった。
スピーカに耳を押し付けて「現実に戻りたくない!」とボリュームを上げた。
世を嫌う性格は片田舎のごく普通の中学校で大いに磨き上げられた。
てんびん

太田倫美 作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照)
みんな心の家を持っているかい?
ホームレスと呼ばれる人たちだけが「家」なしなのか?
社会でウダツを上げているヤツらも実は「ホーム(心の家)」を持っていないのかも知れない。
「ホームレス」(と呼ばれる人たち)に対する嫌悪感は姿形としてそれを映し出してしまっているからかも知れない。
いっそ「ホームレス」になれたらどんなに楽か...。
みたいなことを感じる人って結構いるらしいが、路上生活こそ「弱肉強食」。生物的世界に近い。
人間社会が「せち辛い」とか言ってるけど、純粋な食物連鎖の生存競争の中の方がどれだけ「死」に満ちているか。
恐らく誰もが人間であることに感謝するだろう。
俺は「日本」は好きだが、この国の「ヘナチョコ鼻糞ナンチャッテ民チュチュギ国家」は反吐が出る程嫌いだ。
しかしこんな国家でもこんな政治でも、生物たちの熾烈極まりない「喰うか喰われるか」生存競争より楽だし、特に俺みたいな弱者は生き易い。
ここ地下道ではよく「人が死んだ」
生きてること自体が「奇跡」のように思ったりもする。
まずは生きていることに感謝しようぜ。
Flashヴァージョンにはない追記:下書き(だと思う)

わに

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照)
「わに」(この国の常識、この国の価値観、この国の道徳、そして国家権力)に喰い殺される「人」(オレたち、そしてここ新宿の地下道に暮らす人たち)
やっぱりかなり権力批判的な「メッセージ」をわかり易く描いた作品も多い。
極力「意味的」な絵を描かないようにつとめていたが、どうしてもオレの性質上反逆的な「メッセージ」をダイレクトに描いてしまう。
「尾崎豊な(理屈で攻撃するナルシスチャイルド)」ジェネレーションは「金八先生(人情理想主義)」「パンクロック(とにかく破壊)」はどうしても刷り込まれているのだ。
オレも「上手」になることは「カッコ悪いこと」と信じていたし。
まんがの家

武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照)
家そのものがコミック!
ふんぞり返った芸術よりも「漫画」を尊敬したオレたちの傑作!
伝統芸能以外で世界に誇れる日本の文化と言えば「アート」ではないことだけは確かだ。
当時オレたちは「漫画」だと思っていた。
今は「テクノ(アンビエントとかも含めた)」と「ゲームやCG(2D,3Dともに)」がプラスされると思う。
私見だが、古典伝統芸能以外の日本の芸術は「ハナクソ」より価値がない。
「現代美術」なんぞ「商品」にも「理想」にもなれない、プライドだけ高い一流大学出の無能不能野郎どもと同じだ。
悪いが「ネコの口臭」の方がもっと価値がある。
この国の歯車って?

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照)
日本から沢山の「人」の字が出て歯車に吸い込まれて行く。
「人」はベルトコンベアにのっかる。そこから落っこちたりするヤツもいる。
ベルトで運ばれた先には幼児がいて吸いこまれる。
片方の幼児は栄養失調となり「屍」のようになっている。
この国とは一体どんな国なのか、っていうのをオレは表現していたような気がするくらい「日本国」にはこだわっていたようだ。
だからなのかここ新宿での制作は「創作」だとは思っていなかった。
むしろ「この国のデッザン」だった。
見事にリアルなデッザン力ではないか。
平家物語

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照)
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・」で同じみ平家物語のパロディ。
文字だけによる珍しい作品。
この作品を観ながら歩いていたサラリーマン同士が思いっきり「正面衝突」をした程、みんなじーっと読んでいた。
やはり言葉に人間は強く反応する。
特にこの作品は「ペテン」のきいた「風刺」だけに評判が良かった。
べるるるる・・・

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照)
ピンぼけの写真しか存在しないのがまことに残念!
人体形体に対するこだわりが良く分かる作品。
古今東西絵に描かれている人体はだいたい人間ではそう出来ない形にデフォルメされている。
それを「絵」として成立させればいいんだから何も実際の人間と同じでなくていい。
そのデフォルメの仕方が大胆でかつユニークなのは「洋画」ではなく「浮世絵」だとオレは感じていた。
この絵画たちの形体からかもし出す雰囲気が、「没個」の群集に身を潜めた「意地汚く品性の低い、バッタ大群、日本人」に何らかの「カンフル剤」になればいいと思っていたんだ。
誇りを失い、ウィルスのように増殖するだけの「大日本総中流市民意識」と美意識を持たない中途半端に権利かざす「デモクラ、イズム連中」こそ世界中でナメられてる「日本(ジャップ)」を形成しているのだ。
砂時計

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照)
京王新線への地下道の段ボール村へのペインティング第一弾(だったと思う)。
ここ京王新線の段ボールハウスはみな移動式の家屋なのだ。
夜になるとここの地下道は通行止めになるためだ。
毎日夜になると家を折り畳んで違う場所に移動する。そのため段ボールが軟らかくなっているのだ。
オレたちの絵は見事にその弱った段ボールを「補強」していた。
一軒一軒絵が違うので段ボールが個性を持ち「その人の持ち家」となる。
住まう人も段ボールを大切にしてくれた。
夜になるとみんながどこに場所を確保しているかも明らかになり、ボランティアの「パトロール」からも「有り難い」と言われた。
その気はなかったのにこの絵画活動は「人助け」にもなっていたのだ。
善行をしようと思って善行をするのではなく、「やりたいコト」をやっていたらそれが人から喜ばれた。と言う体験はオレを大きく変えた。
だるまおとし

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照)
上に乗っている赤ん坊は実は「小沢一郎」のイメージだった。
観ようによっては単なる「風刺画」なのだが、実に良く描けている!スゲエ!
よく、漫画家やデザイナー、写真家、建築家、美術家からは「「商品」として「絵」のクオリティーは低い」と言われたが、こうやってもう一度観てみると
「そんなことねえじゃん。オッサン、オバサンども!嫉妬してそんなコト言ったんだろう。なめやがって!」
と怒りがフツフツと込み上げて来る。
テメェラの妥協しまくった、金稼ぎの為だけの「くだらねえオシゴトより、よっぽどスゲエじゃん!」
これを読んだら謝りに来い。ボケ。
じゃなかったら、ぶくぶく肥って、死ね。
ひとだま

武盾一郎 作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照)
結構初期の作品だと思う。
ひとだまを描きたかった。
「人魂」ってあると思う。いわゆるヒュードロドロって出て来る火のかたまりみたいなんじゃなく。
人にある霊的なエネルギーがかたまって浮遊してることがあってもおかしくないんじゃないかなあ。
オレは幽霊の類いとは出会ったこともないし、別に既存宗教に所属してる訳でもない。
ただ「神」は居る(在る)ことは確かだ。
立証は出来ないがそう強く感じる。
どんな形で、でどんな大きさで、その数はどれくらいで、そしてその神が万物を創世したかどうかは分からないが。
生き物も、そうでないものも、霊的な力を浴びて(帯びて)存在している。ってうっすらと思ったりする。
オレにとって絵を描く事は「神」を体感する行為だった。
或いは「神」を求めるために絵を描いていたのかも知れない。
路ハ、死ナナイ。

武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 現在「動く歩道」のB通路(参照)
ストリートに暮らす人たち。
ストリートで表現するオレたち。
両者の願いは 「路ハ、死ナナイ。」だった。
ストリートにオレは魅力を感じていた。
「無差別メディア」だからか?
「純粋な評価が得られる」と思ったからか?
「開放感があるから」か?
「勇気がいる」からか?
自分の手でメディアを切り開きたかったのだろう。
「賞に応募」「組織に所属」「金出して場所借りて発表」
以外で自分たちで何かステージを作りたかった。
レールに従いたくなかった。
そんな気持ちだった。
結局ここB通路は「死んだ」。
「動く歩道」になってしまった。
この絵は「古事記」より、天の岩戸(あまのいはと)に隠れてしまった天照大御神(あまてらすおおみかみ)を誘い出そうと大宴会を催し踊る「あめのうずめ」をモチーフにしている。
巨大コンクリートの糞都庁(おかみの岩戸)に囚われてしまったストリートの神様を奪還するため絵だったのだ。
古事記と違う所は、オレたちはその作戦に敗北する。
江戸家

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 現在「動く歩道」のB通路(参照)
新兵器「ネオカラー」の登場で単色塗りの色彩が鮮やかになった。
今までは業務用のペンキで描いていたがこの頃どういうわけかネオカラーを使い出している。
壁画の仕事が一つ入って業務用のペンキはもう買うことがなくなって、ネオカラーを買い足したのだ。
かつてB通路(今は動く歩道になっている)には数百メートルにも及ぶ連なる家に描かれた絵がズラーッとあったのだ。
オレたちは強制撤去の瞬間まで絵を描いていた。
強制撤去の瞬間、そこには活動家もボランティアも住民も誰も居なくなっていた。
誰も居ない抜け殻となった段ボールハウスに最後の作品「スイートホーム」を描いていたのだ。
その作品はいわば「B通路」の代表作だった。
1996年の1月1日から描き始め24日間かかって描いた作品だ。
写真がないのが非常に残念だ。
ひも男

山根康弘・武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 現在「動く歩道」のB通路(参照)
三人の細かな描写が冴える逸品。
ヒモ一本一本まで丁寧に描いている。 ヒモは主に山根による。
素晴らしい手の甲や目の描写など、もう実物が見れないのが本当に残念だ。
ここの家主は某有名大学出身のエリートサラリーマンだった。
最初はなかなか取り合ってもらえなかった。
それはオレたちがボランティアだと思っていたからなのだ。
「ボランティアなんかの世話にはならない!」って。
しかしオレたちの制作を観ているうちに、オレたちが「ボランティア」ではない事は分ってもらえたのだ。
「ヤマネ」はここの家主から「おせち料理」を貰い、元旦に自分のアパートでひとりその「おせち」を食べたとのことだ。
この頃は24時間体制で誰かは必ず地下道で描いているようにしていた。
オレは一週間トータルでも8時間以内の睡眠時間だった。
それが一ヶ月くらい続いた。
(途中段ボールハウスでちょくちょく仮眠をしてたから結構寝てたかも)
しかし、寝た記憶が無い。っていうか寝ようとした記憶が無い。
描いてる途中に意識が途切れる事があったけど、あれも寝てたのかも?
それにしても、今それをやったら確実に「死ぬ」な。
クリスマスのおやじ

山根康弘 作 / 現在「動く歩道」のB通路(参照)
「動く歩道」にする通路は数百メートルと長く、そこにはズラーッと段ボールハウスが並んでいた。
強制撤去が近付き、緊迫した空気がこの地下通路に張り詰めていた頃、オレたちは手分けをして別々に絵を描くことが多かった。
この作品は100%「ヤマネ」ひとりの作品である。
どうでもいいけどクリスマスイヴってそんなに重要かねー。
神秘的なものに憧れる気持ちは分かるけど、なんだか「恋人たちの日」って感じで気色悪いよなあ。
別に「恋人たちの日」がイヤなんぢゃないんだよ。
なんでクリスマスイブってゆー、そもそも日本にとっちゃー縁もゆかりもない日を「恋人たちの日」にするのかが気に喰わないんだよ。
これって結局「マスコミ」とか「商戦」とかが作り上げたものでしょうよ。
まあ、別にそうでもいいけどさ。
日本人なんだから「クリスマス」みたいなロマンチック性のある記念日を「中秋の名月」とかに定められたらいいのになあ。
なんでそういうのが出来なかったんだろう?
やっぱ白人達に戦争で負けたからからなんだろうなあ。
白人文化がロマンチックで高尚でカッコイイって思っちゃったんだろうなあ。
オレもそうだったしなあ。
頑張るサラリーマン

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 現在「動く歩道」のB通路(参照)
この国で一番楽なのは「サラリーマン」
そして一番頑張っているのも「サラリーマン」(?)
「新宿駅」から吐き出される無数の「同じような格好の男女たち」
彼(女)らにもまた一つ一つ人生があって悩みもある。
「圧倒的大多数」という「幻想」に身を委ねている「サラリーマン」たちにオレの気持ちが分かるはずもないよな。
彼(女)たちの気持ちが分からなかったオレのように。
サラリーマンにしろ無職にしろ何かに「寄生」してる点では一緒だぜ。
多数の中に身を寄せて安心感を得ようってのは分かるけどよ、なんでオレに偉そうにするんだよ。
それが気に入らないんだっつーの。
誰だって頑張ってるんだよ。
オメエの頑張りには「金」が支払われるけどよ、オレの頑張りは一銭もならねえんだよ。
金にならない事を死ぬ気でやってる「バカ」に愛をくれよ。
愛が嫌なら金をくれよ。
「チクショー!」
ってオレ、何に怒ってるんだ?
食事中のテーブル

山根康弘 作 / 現在「動く歩道」のB通路(参照)
「ヤマネ」のセンスが光る作品。
実は塗りはかなり丁寧なのだ。
段ボールのナミナミになっている所まで気を使って塗ってあるのだ。
才能もないのに「芸術」とかぬかして、ショボイ仕事をしてカッコだけつけてる写真家、建築家、デザイナー、ライター、イラストレーターたちに見せてやりたいくらいだ。
テメーらクズだ!
けものたち
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武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 現在「動く歩道」のB通路(参照)
奇怪な「けものたち」が喰う。とにかく喰う。喰う為に生きている。
きっと「社会的にうだつを上げて行く快楽」を失うと、快楽のメインは「喰うこと」だ。
そうじゃなくても喰うことは楽しい。
最近は寝ることよりも喰うことが好きだ。
例え量が少なくても、高級な食材ではなくても「美味しく」食べることは出来るんよね。
気の合う仲間と、或いは好きな人と一緒に食べるのが一番いいね。
ここ新宿西口地下ではみんなで食事をしている人たちも多かった。
食材をゲットしたら仲間と分かち合って食事をする。
オレたちは幾度となくそんな場面に混ぜてもらったりした。
本当に貴重な体験だった。
家があって、家族がいても誰とも食事を共有しない人たちがこの日本の会社社会の大多数だとしたら、
なんと貧しい国なんだろう。
疲れたサラリーマン

武盾一郎 作 / 現在「動く歩道」のB通路(参照)
くたびれた人間の頭の中は「パッパラパ〜」
別に意味はない。
しかし、中身がないくせにそれなりの地位がありそうな中年サラリーマンオヤジたちに限ってオレたちの制作を「クズ」だのなんだのと言って来た。
でっかい社(やしろ)に守られて、そこに寄生してるくせに偉そうにするんぢゃねエ。
見捨てられたらどうするつもりなんだよ。
オレはそういう糞オヤジどもがバタバタ失職すれば、
この国は本当に「豊かさ」とか「暖かさ」とか
「みんなで食事をする大切さ」とかに目を向けると思うんだ。
電車通学

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 現在「動く歩道」のB通路(参照)
何度も潰して描き上げた苦労作。
潰された絵の写真もあり、貴重な資料だ。
なぜだか分からないが本当に苦労した。オレが描いてタケヲが描いて、なんか気に入らなくて潰しちゃって。
絵を潰す時、見ていた人たちが「あ〜、なんで消しちゃうんだ〜」って言ってた。
消す直前の絵の写真があった。
今改めて見てみるとホントに 「あ〜、なんで消しちゃうんだ〜」だ(苦笑)
上が完成間近の絵。
下が潰した絵。
それにしても貴重な写真だ。
UP and DOWN
![]()
山根康弘 作 / 現在「動く歩道」のB通路(参照)
カラー写真では2人の絵になっているが、この2作は少し距離が離れているのだ。
とある場所を中心にシンメトリックになるように絵を描いていた場所だ。
「ヤマネ」のオリジナルキャラ「ラッパ先生」も含めた6世帯くらいの連作だったと思うのだが、全部の写真がないのが残念だ。
ラッパ先生
![]()
山根康弘 作 / 現在「動く歩道」のB通路(参照)
山根のオリジナルキャラ「ラッパ先生」のデザイン版。
カラー写真では2つの顔が絵になっているが、この2作は少し距離が離れているのだ。
とある場所を中心にシンメトリックになるように絵を描いていた場所だ。
「UP AND DOWN」も含めた6世帯くらいの連作だったと思うのだが、全部の写真がないのが残念だ。
ご飯

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 現在「動く歩道」のB通路(参照)
和製シュール。
きしょい作品だがなかなか奥が深いぞ!(ホントか?)
意味不明な作品だが、よーく眺めてみるとなんか含蓄があるなあ。
う〜ん、どうなんだろう。
覗き見る目
武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 現在「動く歩道」のB通路(参照)
ほんの小さな隙間でさえも「絵」にしようとしていたのが分かる作品。
植木から小さくはみ出た段ボールでさえ見のがさずに「絵」にしていた。
しかもこの「目」はしっかりと描写されているのだ。ホントにオレたちは「目」をよく描いた。
そして常に絵画の「平面性」を重視していた。
そう言えばその後、我が国の現代アートの巨匠が日本のアートとして「平面性」を打ち出し、
目ン玉シリーズを発表して大ヒットを飛ばしていたっけ。
ピカソやビートルズも数々のショッキングで新しいと「呼ばれる」作品を連発して行った。
秀逸なインディペンデント作品からパクり続けて巨額の富みを獲たのさ。
荒削りだが「次世代」を確実に予言している作品は常にインディペンデント、ストリート、マイナーと呼ばれる所に在る。
その上澄みを掠め盗って量産するのは常に強者だ。
「勝てば」いい世の中だ。
ヘコたれないで生き抜こうぜ!
今はまだ名もなき先駆者たちよ!
にょろ

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 現在「動く歩道」のB通路(参照)
地下から這い上がろうとする「醜くて優しい存在」を現そうとした。
そう、疑問に思うのが「容姿」についてである。
中身がカラッポだからみんな「流行りモノとブランド」で身を包むのか、
それともしっかりしているからこそ「おしゃれ」に気遣うのか。
ここ地下道に暮らす人たちは、みな「いい顔」をしていた。
少なくともオレはそう感じた。
「嘘がないから」だと思う。
ごまかしようがないもんな。
しかし「嘘のない状態」が「美しい」とも限らない。
「醜い」場合もある。
人間の本性は「グロテスク極まりない」し「美しい」。
あとはそれを「愛おしい」と思うかどうかかも知れない。
キック!!

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 現在「動く歩道」のB通路(参照)
通路の植え込みと柱の隙間から通行人にキック!
現在の「動く歩道」となっているB通路には植木が柱の間に並んでいた。
よって段ボール絵画は植木と柱の隙間に「はめこんだ」ように見える。
「目隠し用の邪魔な植木」をどかして絵が大きく見えるようにした作品もあった。
とにかくここB通路での目標は通路全部を「絵にする」ことだった。
口に秘密を押し込む

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 現在「動く歩道」のB通路(参照)
「キテル」精神状態を描きたかった。
不条理を描きたかった。
なぜって、ここ新宿の地下道がそうだからだよ!
軽薄な「娯楽消費材」を製造する人間を「アーティスト」と呼ぶようになって久しい。
確かに需要がある。
「下らねえ」とか思いながらサラリーマンやOLをやっている連中にとっては、
カラオケに行って発散出来る「娯楽消費材」としての「音」こそ「使える音楽」なんだろうしよ。
それを製造している人こそ「アーティスト」であると思うだろう。
確かにアーティストだ。
娯楽消費材を専門に創る職人だ。
そういう人たちが真剣バトルを繰り広げているのが業界ってヤツだと思うし。
信念を持たずに、
そこそこでもいいから、
美味しく生きて行きたい人間の本性を肯定してくれる、
品の高過ぎない楽曲こそ多大なニーズがある。
ただよ、オレが気に喰わないのは、
売れてこそ「アート」だとか言って、
娯楽消費材以外の作品を卑下する連中だ。
マニアックな作品は需要も少ないし、
第一、「くだらねえ」とか思ったりしちゃう。
でもよ、そーゆーモノを毛嫌いしないで
「笑って許容しちゃう」センスはあった方がイイと思うぜ。
月夜でお勉強

吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 現在「動く歩道」のB通路(参照)
そういえば「オレ」と「TAKEWO」、
「TAKEWO」と「ヤマネ」のふたり組合せ作品は多いが
「オレ」と「ヤマネ」の二人の作品は少なかったように思う。
その場合、「三人の合作」になったりしていた。
というか「TAKEWO」は人が描いた上から描き加えることが多かったからかも知れない。
泣く女

武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 現在「動く歩道」のB通路(参照)
これ、わりと大きな作品。
密かに「ヤマネ」に似させた。これは今でも内緒だ。
「動く歩道」のあった所には一列に段ボールハウスが連なっていて、柱や観葉植物があったので縦構図の絵になることが多かった。
この女性「左翼ってインチキーッ!!」って言ってます。
或いは「民主主義ってインチキーッ!!」って言ってます。
そうじゃなかったら「天皇制ってインチキーッ!!」って言ってます。
ひょっとしたら「芸術ってインチキーッ!!」って言ってるのかも知れません。
サラリーマン

武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 現在「動く歩道」のB通路(参照)
三人の実力発揮!
となりの「泣く女」から連作になっている。
更に続いていたのだが写真はない。
色の使い方と云い、丁寧さと云い、構図と云い、シンボル化させた意味合いと云い、
今観ても「スゲエナア」って感心してしまう。
ピンがイマイチでも絵の良さが分かると思う。
ちなみにこのサラリーマンの顔は「タケヲ」によってオレに似せて描かれている。
ムカつくが見事である。
なぜ?

武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 現在「動く歩道」のB通路(参照)
家の外にあるゴミ箱と合わせて一つの絵にした作品。
B通路(今は動く歩道になっている)にズラーッと絵があった訳だが、
この絵は地下から抜ける少し手前に位置する。
1996年1月24日のホームレス強制撤去の時、
この絵はガードマンや機動隊と衝突する最前線にいたわけだ。
その緊迫した風景の中、
この絵はずっと
「?(クエスチョンマーク)」を
人間達に投げかけていたのだ。
新宿夏祭り97

武盾一郎 作 /新宿中央公園
1997年8月17日:新宿中央公園
97年の新宿夏祭りは思い出深い夏祭りだった。
バックの巨大絵は東京大学駒場寮で制作した。
オレは世界的ノイズ奏者の「大友良英」さん(写真左端・演奏中)とライブコラボレーションをしたのだ。
トリの「ソウルフラワーモノノケサミット」
(この国でパンクをやるとこうなるよ。本当の意味で「日本パンクバンド」だと思う。カッチョイイッすね)
の演奏でもライブペインティングを行った。