cardboard-house-painting.jp topcardboard-house-painting.jp FLASH vercardboard-house-painting.jp HTML ver新宿区ダンボール絵画研究会当時の制作ノート
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ぼたん

ぼたん
吉崎タケヲ 作 / 西口地下広場(参照


裏側にもここまで凝って描いているというのが良く分かる作品。

この絵は実は外(通行人)からは見えない。
見える面には遊廓をモチーフとした力作が描かれている。
見える所だけ力を入れるイマドキの合理的な人間ではこういう制作は絶対に出来ないであろう。
「TAKEWO」の絵の上手さを垣間見れる作品だ。

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クッキ的顔

クッキ的顔
武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照


「TAKEWO」がメインで描いた「顔」に対抗(?)して描いた、小さい作品。

エンツォ・クッキが降りて来た気がしたので一応「クッキ的顔」という題名にしてあるが、描いていた当初にこの題名があったワケではない。絵の題名はその家主の名前がふさわしいからだ。
この制作で自分達の絵に「題名」を書き入れたものはほとんどなく、「サイン」は全くしなかった。

オレはオレの名を知って欲しかった訳ではない。
「「絵とは何か」という答えの一つがここ新宿の地下道にあった。」
という事実が、多くの人たちの「記憶」と「感性」と「心」と「理性」に残って欲しかっただけだ。
人間は「商売」の為に生きている訳ではない。
「絵画」はそもそも「商品」ではなかったはずだ。
「アート」はそもそもテメーの名前をトドロカスために生まれた訳じゃあない。
「サイン」をしないのはそう言った理由からである。

エリートだといろいろできていいですね。
あいつらの偽善とインチキを証明しながらちゃんとやっていきますよ。

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顔
武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照


TAKEWOメインの作品。
大小、濃淡、さまざまな円のみで顔を表す。
けっこうそのまんま美術的なアプローチだがスッキリしてインパクトのある作品だ。

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小顔たち

小顔たち
武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照


ポスターやステッカーが貼ってあった段ボール面だったので、ステッカーみたいに描いた作品。
「Take」作。

もの凄く「顔が恐い」オッチャンがここいら辺に住んでいた。
何かを持ってこっちに向かって怒鳴っていたので、殴り掛かって来るのかと思った。
もの凄くビビリながらもなんとか振り向くと、手に持ってた物はジュースでそれを差し出してくれたのだ。
それ以降もそのオッチャンは何度か差し入れを持って来てくれたけど、やっぱり恐かった。
顔と声のインパクトってあるよなあ。
童顔もキツイけど、恐い顔ってのも大変だったろうなあ。

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月のもとに罪を問う

月のもとに罪を問う
武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照


なんか不思議な感覚がオレを取り囲み、そのままスピーディーに神秘的に仕上がってしまった作品。

ここでオレたちは1995〜1998にかけて絵を描いていた訳だが、「絵を描いた(自分の想像力と才能で創造した)」って感覚よりも、不思議な力によって「絵を描かされた(何て言うのか、オレ自体は単たる媒体でオレの理解範疇外の何かを形つくるよう動かされただけ、みたいな)」感覚だった。

「自我性」を放棄してしまう日本人特有の感性がそう言わせてるのかも知れないが。

しかし、「不思議な力」を感じたのは確かなんだ。
信じてくれとは言わないが、そうとしか言い様がないのだ。

別に霊感がある訳でも無い。

実際ヒュードロドロと現れる「幽霊」と遭遇した事は一度もない。
でも何か居たんだ。

オレはそれを「精霊たち」と呼んでいた。

目に見えるのではなく「感じる」ものだった。
彼(女?)たちはとても弱く繊細でいながら、オレたち人間をよ〜く観察している。そしてそこにシステムが敷き詰められ、心無い人間がドカドカと踏み込んでくると、あっさりと死んでしまう。
精霊が死んで居なくなるとオレは絵が描けなくなってしまう。
そういった印象だ。
特にこの絵を描いている時はとても奇妙な感覚がオレを支配した。

この絵を完成させて後、家主はオレに怒って来た。
「オメーの描いた絵が夢に出て来るんだよ!どういうことだよ!気が変になりそうだ!オレを殺す気か!」って。
ここの家主はちょっと恐い人だった。そんな恐い系のオッチャンが狼狽して言って来たのだ。ラリってたのかも知れないが。
そのおっちゃんはその後オレに対してはとても優しくしてくれた。

なんとも奇妙なエピソードだけど。

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般若と台所

般若と台所
武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照


ザイン性、描写、共に非常に良いです。
これ、なかなかの傑作!

般若が包丁を握り血が流れている。
袴のシルエットにはキッチン。
よ〜く眺めているといろいろな物語りが見えてきそうな作品である。
食にまつわるモチーフはやはり結構あったと思う。
とにかく一人で食事をするのはどんなに金持ちであっても貧しい行為である、ということをここで痛感した。
どんなに貧しくても食事を共にする人がいることは「豊か」であるのだ。

仕事や勉強に勤しんで自分を精神的経済的に成り立たせているんだろうけど、一人で食事をしているなら、それは悲しいことだよ。
点数を上げる事に躍起になる価値観より「たった一人で飯を喰わない」ことを重んじる方がいいと思う。

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蜘蛛男と女

蜘蛛男と女
武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照


赤と黒のペンキしかなかった時に生まれた「名作」。

この時ペンキは赤と黒しかなかった。だから赤と黒で描かれている。
上からのしかかる蜘蛛男が下の女に米粒を一粒与えようとしている。
蜘蛛の巣に引っ掛かった女はその米粒を拒絶する。
これはオレはあきらかに意図的に描いた。

「東京都とホームレス」の関係なのだ。

東京都は一見おいしそうな保護対策を発表する。例えば収容所だ。
しかしそんなもんは役に立たないのだ。
蜘蛛男が女においしい米粒を与えようとする。「ほうら美味しいごはんだよお」って。

その女が食べたとしても、最終的には蜘蛛男に喰い殺されるのだ。

重要なのはその蜘蛛の巣から逃れることなのだ。

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花
武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照


内在する狂気が昂って行く様を描きたかった。

オレは当時「花」が嫌いだった。
なんで人は「花」なんか見て喜ぶのか分からなかった。
「花」はいつもオレの内在する狂気を揺さぶりかけて来る電波のように感じていた。
「花」を眺めていると全てを「破壊」したい衝動が込み上げて来る。
「自殺したい。」
「人を殺したい。」
どうして人はそんなに平気で「花」なんか眺めてられるんだろう?
 
「花はキレイ」っていう先入観がきちんとあれば、
「花は狂気を増幅させる危険性のあるもの」っていう本質を見なくて済むもんな。
花って絶対「グロテスク」で「危険」なモノだぜ。

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LIFE IS REAL

LIFE IS REAL
武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照


マイクロソフトのロゴマークがデカデカと書いてある段ボールを使用している。
家主は別にそんなことどうでもいいのだろうが、東京の地下の路上生活者アナログ王国にまでマイクロソフト社が進出していると思うとなんだかやりきれない思いが込み上げて来る。
巨大資本とホームレスはむしろ密接なのだ。

「 Life is Real 」という題名はクイーンの曲名からとった。ジョン・レノンに捧げられた歌だ。
人生とはまさに現実的だ。
現実はいつもなんて皮肉なんだ。
オレはこの地下都市で本当にそれを感じていた。

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ブリッジするふたり

ブリッジするふたり
武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照


詩と絵のコラボレーション。「TAKEWO」と「オレ」の二人が絵、詩両方手掛けている。

普通「絵」「詩」の作品を二人で創るならどっちかが「絵」、どっちかが「詩」というふうになるだろう。
しかし、オレたちは違った。
一つの作品にお互いの作業の境界線がなかったのだ。
ただし、作品によってオレがイニシアチブをとって完成させていったモノ、「TAKEWO」がコンセプトの方向性を決定づけながら仕上げていったモノ、といったふうな役割はあった。
が、「分業」ということはしなかった。全部共同作業でやった。効率は悪いが、強烈な作品は出来上がる。

仕事をし始め「何か」を忘れてきちんとした大人になると絶対にできないのが、境界のない「コラボレーション」である。
そう思うとつくづく貴重な制作だったと思うのだ。
この作品はどちらかというとオレよりの作品である。(多分)

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碧の家

碧の家
吉崎タケヲ 作 / 西口地下広場(参照


きっとこの時この色しかなかったのだろう。
妙に「ヤバさ」を感じさせる作品。

この作品の仕上がりを観た時、なんだかとても胸騒ぎがした事を覚えている。
なぜだかは解らないが…。

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牛と顔

牛と顔
武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照


牛が地中から生えて来る顔に頬を寄せている。
横面の顔は武作。

地面の中に囚われの身となってしまった人間を哀れんでいるかのように牛がほお擦りしようとしている。
自由になれないもどかしさを描こうとしたのか。


地中から這い上がりたくても、明るさが恐くて顔を上げられない。
うだつを上げたくても、努力の仕方がわからない。
出世したくても、どれがチャンスだか分からない。
成績を上げたくても、頭が悪くて成績が上がらない。
輝きたくても、醜いから輝けない。
飛び立ちたくても、羽がない。
伝えたくても、言葉が出て来ない。
いろんなもどかしさの中でオレは生きている。

でも、見守ってくれている「何か」はいるような気がする。

注意しないと見過ごしてしまう程かも知れないけど、幽(かす)かな「希望」はあるんだよ。
そう言い聞かせて絵を描いていた。

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幼虫

幼虫
武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照


家の面で「TAKEWO」と「オレ」の描く場所を区切った作品。

幼虫の顔の面はオレ。
幼虫の身体の面は「TAKEWO」

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嘘だ!

嘘だ!
武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照


珍しく白バックになっている絵。描写も丹念だ。

ねじれながら「嘘だ!」と絶叫する姿はここそのものであり、オレ自身でもあった。

この作品はこの新宿での記念すべき第一作品「ゴルゴ13的人面魚」の家主が突然オレに殴り掛かってきたことが重要なモチーフとなってしまっている。
なんでだ?
嘘だろう!?
そんな気持ちだった。
その後何度かオレはその家主から地下道から追い出される。全く理由も分からず、不条理な気持ちで一杯だった。

精神的に「ここに通う情熱が絶たれた」と言っても過言ではないくらいショックだった。

オレはその直後、一旦神戸に向かう。
そしてオレが神戸のテント村のコンテナに絵を描いている間に「新宿西口地下道段ボールハウス絵画村」に大火災が起き、地下王国は滅亡したのだった。

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驚いた!

驚いた!
武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照


不条理な現状を肯定しようとしていたんだ。

「絵を描くんだ!」と正直に絵を描いて行ったら逮捕されて22日間も檻に入れられ、
1日12時間絵を描き、ここまで絵を毎日描いていれば、みんな少しは認めてくれるだろうと思ったのに、美大、芸大出身者たちには嫌われ、
都内の某ギャラリーのオーナーに直接面と向かって「新宿で描いている武と言う者です」と申し出てても、「電話でアポ取ってから私に話し掛けて」とあしらわれ、
「あなた芸大出身でしょ?」と興味津々に近寄ってきたスーツ姿のお姉さんに「どこの大学も出てません」答えたら、そっぽを向かれ、
なぜか倒れて入院してしまい、
いつも悔しく思いながら絵を描いていた。
「いつか見返してやる!」と、誰に対して、何に対して、憤ってるか分からないが、そんなもどかしい思いで胸が一杯だった。

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お日さまと音楽

お日さまと音楽
武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照


地下に居ながら太陽を描いた珍しい作品。

太陽をイメージに持って来ることはほとんどしなかった。
どちらかと言うと「闇」「水底」「閉ざされた空間(洞くつ、子宮、などなど)」が絵画世界の根底を流れていた。
「そこから一筋の光を求める状態」を描いていたのかも知れない。
「光があるから影がある」という考え方より、
「光とは、広大な闇の中で絶叫するほんの小さな瞬きである」というイメージを持っていた。

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サメと食卓

サメと食卓
武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 西口地下広場(参照


平面性を意識した不条理絵画。
なかなかよいですね。

写真ではちと分からないが顔などは実によく描き込んであるのだ。
「ロシアアバンギャルド」の天才兄弟ステンベルク顔負けの和風な「デザインセンス」も見どころだ。

実はわりと「喰う」ことに関する絵も結構描いていて、これもその一つ。
オレは料理が作れないくせに人権だのなんだの抜かすヤツらを信用しないことにしている。
もしそいつが男なら料理は「女」か「産業」に作ってもらうことになる。
もし「女」に料理を作らせているなら、その男がどんなに「人権」を唱ってもなんの説得力もない。
もしフェミニズムに影響され、調子に乗って料理を作らない女がいたとするならば、食い物は買うか、誰かに作らせることになる。
それは結局、資本主義の構造にベッタリと依存していることになるし、誰かに助けてもらわないと飯すら食えないということになる。
それは「女の自立」とは程遠い。
命を繋ぐ「食い物」、材料から作るのはちと無理だが、せめて喰うもんくらい自分で創作出来ない人間に「思想」などない。

そう言えばここ地下道には旨いものをつくるオッチャンたちが一杯いた。

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まめ

まめ
武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 西口地下広場(参照


人体はいくら描いても飽きないものだ。

実を言うとオレは「風景画」が描けなかった。魅力も感じなかったし。
ただ「ウィーン幻想派」や「スペインリアリズム」や「シュールレアリスム」などで描かれた風景はスンゲエ好きだった。
あーゆー観るものを「とりこ」にする風景を描きたい、と思いつつもオレの技量では無理だった。
悔しい。いつか描いてやる。
しかし、この絵で気まずかったのは「ひっくり返った生首オヤジ」の絵が家主そっくりになってしまった点である。

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酔生夢死

酔生夢死
武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照


オレが大好きな言葉のひとつを絵に入れてみた。

そう言えば牛もよく出て来るモチーフなんだが、オレの中では「平和」とか「安らぎ」とかの象徴なのかも知れない。
 
オレから復讐心を奪ったら努力する気持ちの9割は消えてしまうだろうなあ。
でも心のどこかでは「努力も何もせずに穏やかにノホホンと過ごしたいなあ」なんて思ってたりもする。
人間が桃源郷を夢想したのはこんな気持ちからなのかなあ。
「胡蝶の夢」のような、くらくらする不思議な感覚をそういえばこの地下道ではよく感じていた。

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月に寝る

月に寝る
武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照


途中の作品。

思いっきり途中だけど、どう言う訳かこれ以上、加筆しなかった。

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平和になりたい

平和になりたい
武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照


平和になりたい。
心の中で荒れ狂う憎悪と悲しみと怒りよ、消えてくれ。

とにかく自分の心が平和ではないのだ。
コンプレックスを克服しただと?

嘘をつけ!

どんなに努力して自分を変えようとしたって自分の劣等感から逃げることは出来ないじゃないか。
何を手に入れても変わらないんだよ。
オレはナイフの換わりに筆を持つ。
心が平和になることを望みながら、変えようもない苦しみにナイフを突き刺すんだ。
殺せ!殺せ!と叫んでいる。
殺す相手は自分なんだ。
ナイフの刃先を自分の心に突き立てて。
刺せ!刺すんだ!刺し殺せ!
そんな言葉を連呼しながらオレは絵を描いていたりする。

描いている時に近寄ってみたら「畜生め!畜生め!」と口走っているオレを観た人もいるかも知れない。

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ハルの絵

ハルの絵
えもりはるひこ 作 / 西口地下広場(参照


一回だけ描きに来た現在紙芝居師「えもりはるひこ」の絵。

武盾一郎、吉崎タケヲ、山根康弘の三人以外にもここに描きに来た人たちは結構いた。
その中の一人「はる」が描いた絵。「はる」は「イトヒサ」とふたりで1996年にここ地下道にやって来たのだ。
二十歳行くか行かないかの男の子二人組だ。


このくらいの年代はいいね。
右翼だとか左翼だとか知らないし、表現と反体制が直結してしまうコトとか考えてないしね。
直感なんだよね。
ただ、危険なのは、ていよく強者の都合に流されている状況に気づけないってコトだよな。
大体、「近代」というシステムを導入しているコト自体にオレは違和感を感じるよ。
坂本竜馬は確かに偉人だと思うけどさ、幕末から明治時代初期の歴史で開国派だけを「正義」として教えてるこの国の史観自体「気色悪く」ねえか?
日本人の性根ってそんなにヒヨワだったんかねえ。違うと思うなあ。
確かに「欧米列強には力では到底勝てない」。
そんな中で「苦渋、そして屈辱と恐怖の選択」として開国したんぢゃねえのかなあ?
オレはそう思うけどなあ。
「腐敗しきった江戸幕府政治から、栄えある近代国家樹立としての開国」ってウソくせえよなあ。
それから「卑劣極まりない国家神道天皇制から民主主義へと華麗なる変貌を遂げた戦後の日本」って言うのもウソ臭えよなあ。
戦争に負けたからって「ケロ」っと連合国側の都合を神のように崇める史観ってなんなんだよなあ。
さらに「テロのない平和とグローバリゼンションへの21世紀だ」っつーのもウソ臭えよなあ。
結局、これって全部「強いもの」が「侵略」してるに過ぎねーんぢゃねーの。
下らねえ右翼だの左翼だのって言い争いは、いらねえ。
でもよ、無知蒙昧に強者の敷いたプロパガンダに何の屈託なく頷いちゃあ、いけねーぜ。

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イトヒサの絵(2)

イトヒサの絵(2)
鷹野依登久 作 / 西口地下広場(参照


96年の夏に描きに来ていたイトヒサの絵。

イトヒサはアクリル絵の具で描いていた。
チューブの絵の具を沢山持って来ていたが、段ボールの巨大なキャンパスではあっという間に画材が無くなった事だろう。

ちなみに当時の髪の毛は緑色で、のちに真っ赤になっていた。

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イトヒサの絵(1)

イトヒサの絵(1)
鷹野依登久 作 / 西口地下広場(参照


96年の夏に描きに来ていた鷹野依登久の絵。

96年、いつものように新宿の地下道で絵を描いている時だった。
幼い顔をした男ふたり、イトヒサとハルはオレの所に来て「絵を描かせてほしい」と言って来た。
その言葉があまりにもたどたどしかったのでオレはてっきり「知恵おくれ(差別用語か…、じゃあ何と言おうか、脳に障害があって社会人としてちょっと難がある人(こっちの方が差別っぽいなあ…))」だと勘違いしてしまった。

別にオレがここを仕切っている訳ではないので、描きたい所があったら自分で家主たちにことわって描きなよ、みたいな感じで返事をしたと思う。

「イトヒサ」こと「鷹野依登久」は現在、SWAMP-PUBLICATION主宰。自主制作アーティストブック等をプロデュースしている。

この当時18歳。

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土偶

土偶
武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照


その後、絵の上から段ボールを補強した写真しかないのが残念。

弥生文化より縄文文化に対してロマンを感じてしまうのはオレだけだろうか。
自分達は宇宙からやって来たと言う史観を持ち、自然と調和し、高度な文明を持ち、ユーモラスな造形感覚を持った人たち。
だからと言って太古の生活に戻ることは出来ないよなあ。今よりずっと恐ろしい世界だとも思うし。

いわゆる原始人の格好とか野蛮なイメージが付きまとうが、案外洗練されてた気がしてならないのだ。
大体、太古の人間が劣っていて今の人間の方が優れているって考え方って変だぜ。
「進化」っていう妄想はもう捨てた方がいいんじゃねえのか?
「進化」ってもともと西欧の思想だし。
アフリカや南海洋諸島の人間は太古の生活を守っているから「遅れている」って、変じゃねえか?
逆じゃないのか?


日本人が白人の真似して来て100年以上経つけど、いいことあったんかなあ?
白人の真似して「近代国家」仲間入りしたがってさあ、白人の真似して侵略しようとしてさあ、白人の真似して戦争してさあ、白人は自分以外が侵略行為をすることは許さない傲慢な連中だから「日本人のサルごときが我々の真似をするな」と原爆落としてさあ。
その後も、白人を追随して、自らの伝統をことごとく破壊してさあ、日本の神々を葬り去ってさあ、精霊たちを殺しまくって、白人の真似して金儲けてさあ。
白人は自分以外が金儲けをするのを許さない傲慢な連中だから「日本人のサルごときが金を儲けるな」とバッシングして金儲けも失敗してさあ。
繊細でまろやかな美感も捨ててさあ、西欧の脅迫観念的に徹底されたモノを美しいとしがみついてさあ。
何かいいことあったんかねえ?

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宇宙とうさぎ

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武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照


ちょっとシュールに。
二人の合作だが、タケヲがメインの作品。

ここの家主はオッサンではなく「お兄ちゃん」だった。
そのせいなのか絵もなんとなく「かわいい」。

表現って「強烈にひとりよがり」である必要性ってあると思う。と同時に、「強烈にエンターティメント」である必要性もある。
一見矛盾しているんだけど、両方必要なんだよなあ。
頑固である必要はあるけど意固地になってはいけないし。
でも、やっぱり「売れる」か「賞」をとるかしないとダメなんだろうなあ。
芸術って言うけど、結局「金」と「名誉」を手に入れて見返したいんだよなあ、本当は。
その夢は遠いと痛感して「生きる望み」の全てを失っても、結構生きて行ったりするんだよなあ、それなりに「幸せ」を見つけたりしてさあ。
でもやっぱり、「悔しい」と感じる自分が居て、とっても辛いよなあ。
うまくやってるヤツらに嫉妬して、悔しくてのたうちまわったり。
でもさ、だんだんあきらめも入って「悔しい」とも思わなくなる自分もなんだか厭だよなあ。
とか言いながら、今はそれでも結構幸せだと思ったりするよ、なんて、ちょっと悟ったフリしたりして。
生きてるから苦しいんだ、けど、そんなことより「生きたい」欲望が勝ってるンかなあ。
どんなにショボイ人生だろうとも、「生きていたい」んだろうかなあ。
そんなような気もするけど。
オレってやっぱダメなのかなあ。何やっても浮かばれないのかなあ。
大体「才能」あんのかなあ?
「運」もないといけないしなあ。
金持ちの家庭で、両親は離婚してないでふたり揃っていて、愛をたっぷりと注がれて幼少期を過ごしてないと、ダメなのかなあ。
毎日頑張ってるつもりなんだけど、やっぱダメなのかなあ、オレ。
普段こんなことを思ってたりするオレってやっぱダメ人間なんだろうかなあ。
悔しいなあ。オレってバカだなあ。
クソー!
頑張るぞ、見返してやるぞ。
負けるな。
公団育ちの貧乏人だって、片親だって、やりゃあ出来るんだ。
十代がジミな人間だって、やりゃあ出来るんだ。
運動音痴だって、やりゃあ出来るんだ。
なめやがって、みんなオレをナメやがって。
クソー、頑張ってやる。

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吉野屋

吉野屋
武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照


吉野屋の牛丼の段ボールハウスで作られた家だったので「吉野屋」という名前にしてみた。

なかなかシンプルで力強い絵だ。
家の形がちょっと変わっていて四角くなかったのできっとこんな絵になったのだろう。
ここ京王新線に続く地下道の段ボールハウスは夜になると移動しなければならないため、折たたみ式になっている。
この場合、住人の回りを囲むような設計となっている。
だから周囲が丸みをおびていたり、高さが前と後ろで違ったりいろいろしていた。
そのせいもあるのか家丸ごとで一つの絵を描くと言う感じだった。
前と後ろからのカラー写真を見てもらえば分かるだろうか。

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狼少年と父

狼少年と父
武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照


これもまた、ちょっとした「現代鳥獣戯画」。

この頃「下着」を見せてパンツはズリ落として履く、のが流行っていた。
今思うと奇妙な流行だけど、江戸時代も「イキ」な着物の着方は「どう着崩すか」だったようである。
「だらしなく見せる。」という着こなしは洋の東西、現在過去において共通している「イキ」のようである。
そう考えると、ここ新宿の地下に住むオッチャン達は「スペシャルにイキ」に着こなしていることになる。

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だまし絵

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武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照


床がそのまま続いているように描いたのだがそう見えるだろうか?


「だましえ」
オレの事、誉めるなら、「金」をくれ。
オレの事、けなすなら、テメエの身も危険にさらしてくれ。
オレの事、無視しているなら、この制作が評価しだされてから近付くな。

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人生快速ゆとり号

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武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照


移動式段ボールハウスをそのまま電車としてペイントした。
京王新線地下道の最高傑作!

地下鉄への地下道にラッシュにあえぐ人を描き、その電車から落っこちる中年サラリーマンを描く。
行き先は「豊かな日本」。
満員電車は皆がいがみ合い、子供達は不気味に笑う。笑う先は形相を変えてひっくり返っているサラリーマンの哀れな姿だろう。
ハリボテ車掌の横にいるのは「ジョバンニ」か「カンパネルラ」か。

そう、この電車は死者を運ぶ銀河鉄道なのだ。

豊かな日本目指して。

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産業

sangyou_450.jpg
武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照


絵巻ものシリーズ!

なんかよくわからんがしかしよく見るとまた細かいところまで手が込んでるなあ。
麦わら帽子の子供が工場近くの空き地(埋め立て地か?)で砂遊びをしているようだ。
向こう側には巨大な工場とビルか?
見上げた空には女の人の顔から雲が吐き出されている。
さらに左端には手を縛られて目隠しをされている裸婦がいる。

オレは強迫観念に満ち溢れていた。
まず自分に対しマイナス要因(ダメ人間だとか、価値低いだとか、遅れてるだとか)を持つ。
そしてそれを「克服」していく事を理想とする価値観だ。

ほとんどの事が克服できなかったので、すっかり劣等感の塊になっちまったのである。

この劣等感がますます自分を責めたてていく。

現実の自分の惨めさに、「さよなら逆転満塁ホームラン」といった、ほとんど宗教的奇蹟を願う気持ちを持ち合わせるようになるのだ。
絵画はその絵の中でまさに宗教的奇蹟と呼べるものを引き起こしてくれた。
偶然に産まれる形、自ら造る形、そして当初予想だにしなかった仕上がり、そしてその奇妙なまでの偶然の必然性。
絵に限った事ではないだろうが…。

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足
武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照


平面的にペタッと描く。
これは「日本人の絵画」だ。

オレたちが絵画的に目指していたものは「平面性」である。
浮世絵をはじめとする日本の絵のデザインの良さ(平面性)を取り入れようとしていた。
それと、光と影から産まれる立体性、をうまくミックスして「日本人」ならではの絵画を描くぞ、と思っている。
いろいろな「試行錯誤」がこの段ボール絵画をよりいっそう面白くさせている。

とは言うものの内心「失敗したなあ〜」って思うものもあった。

でも、そこはみんなで補いあって完成まで辿り着かせた。
とにかく「いい絵」になればよいっていうことでやってた。
なかなかそう思われないけど。

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まえむき

まえむき
武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照


後ろ向きで「まえむき」

一発ギャグ的な発想で描いたのだろう。
ちょっと笑える摩訶不思議。

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緑砂漠

緑砂漠
武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照


緑色の砂漠なのか海なのか。
恐らく多くあるのが緑色のペンキだけだったのでバックを緑にしたのだろう。

化石のような恐竜、ライオンの死骸らしきものが水に浮いてるようにも見える。
光のさすところに何かが描かれているようであるが、何を描いたのかは思い出せない。
新宿もまた荒涼とした砂漠のようなものだと言いたかったのかも知れない。

ただこの時の制作は「感じたことを形にして行く」以前に「これだけしかない材料の中で何が描けるか」といった状況の中から生まれて来るものの方が多かったと思う。

素晴らしい色彩やモチーフやアイデアがあっても、金がなくてペンキがない。
画面も四角くなく、長細かったり、デコボコだったり不定形だし。
「事前のアイデア」なんて役に立たないのだ。
「その場で」「その状況から」「ゼロから」作る勢いと力が必要なのだ。
上手く行くとは限らないというプレッシャーとも闘って勝たなければならない。
こんなことをほとんど毎日休み無しでやり続けていたなんて今思うとちょっと「狂気」だ。

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黒砂漠

黒砂漠
武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照

ベタ塗なのに空間を出そうとた作品。

今こうして見て思うのだが、この当時「平面性を用いて空間を出す」ことにけっこうチャレンジしていたんだなあって。
これもその一つ。
形態でくくって面塗りをしてしまう。
バックも基本的にベタなんだけど空間感を出す。
漫画だ。

多分漫画の技法だよな。って漫画家じゃないから分からないけど。漫画家の人が見てたら教えて欲しいなあ。

オレがガキの頃は「ぬりえ」をすると良くない。なんて教育された。

線で形を表現するのすら軽蔑されていた傾向にあった。
西欧の芸術(といってもルネッサンス以降ってことだろう)の法則が良しとされ、日本の最も得意な「線」と「平らな面」が侮蔑されまくっていたのだ。
ひでえ話しだ。

まあ、今でも欧米のケツにしっぽフリフリしがみついて喜んでるのが近代民主主義国家日本様なんだろうけどよ。

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蟻と少女と父

蟻と少女と父
武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照


見ごたえ充分「和製シュール」

パースペクティブの無視、というか「絵」を三次元的に見るのが通常となった現代だからこそ「不思議」さを感じることができる絵である。
人体の単純化、ディティールは写実描写、と実に丁寧な作品である。

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家
武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照


家とは何?
そんな問いかけをしたかったのだろう。

酔っぱらったオヤジの吐く息には悪魔がいる。
心と書かれた暗いマンホールの穴に落ちようとしている。
後ろ姿の割烹着のお母さんは恐らく亭主のだろうネクタイを包丁で切り刻んでいる。
女の子が人形を同じく包丁で切り裂こうとしている。
胸を開いた男の内部には「家」の文字が。
そしてその影は鳥カゴになっている。
男の子が ひとりぼっちでカレーをつまらなそうに見ている。お茶碗が倒れたのも気付かない。
キャリアウーマン風の女性の足元には泣いている黒い影がいる。。。

オレの思春期は「努力」と「真面目」がもっとも軽蔑された時代だった。
掃除とかを真面目にやってると「ブリッコ(凄い懐かしい単語)」などと呼ばれた。
「ツッパリ(再び凄い懐かしい単語)」と呼ばれた連中がハバをきかせていて、彼らに目を付けられないように目立たないようにする必要もあった。
「勉強が全てではない」と教えるけど、進学は偏差値の縦割りだった。

この世は嘘だらけに感じた。

せめて不良にでもなれればよかったが、そんな度胸もなかった。
アメリカのヒットチャートとクラフトワークとピンクフロイドとビートルズの音の中だけがオレの居場所だった。
スピーカに耳を押し付けて「現実に戻りたくない!」とボリュームを上げた。

世を嫌う性格は片田舎のごく普通の中学校で大いに磨き上げられた。

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てんびん

てんびん
太田倫美 作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照


みんな心の家を持っているかい?

ホームレスと呼ばれる人たちだけが「家」なしなのか?
社会でウダツを上げているヤツらも実は「ホーム(心の家)」を持っていないのかも知れない。
「ホームレス」(と呼ばれる人たち)に対する嫌悪感は姿形としてそれを映し出してしまっているからかも知れない。

いっそ「ホームレス」になれたらどんなに楽か...。

みたいなことを感じる人って結構いるらしいが、路上生活こそ「弱肉強食」。生物的世界に近い。

人間社会が「せち辛い」とか言ってるけど、純粋な食物連鎖の生存競争の中の方がどれだけ「死」に満ちているか。
恐らく誰もが人間であることに感謝するだろう。

俺は「日本」は好きだが、この国の「ヘナチョコ鼻糞ナンチャッテ民チュチュギ国家」は反吐が出る程嫌いだ。
しかしこんな国家でもこんな政治でも、生物たちの熾烈極まりない「喰うか喰われるか」生存競争より楽だし、特に俺みたいな弱者は生き易い。

ここ地下道ではよく「人が死んだ」
生きてること自体が「奇跡」のように思ったりもする。

まずは生きていることに感謝しようぜ。

Flashヴァージョンにはない追記:下書き(だと思う)
why_sitagaki.jpg

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わに

わに
武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照


「わに」(この国の常識、この国の価値観、この国の道徳、そして国家権力)に喰い殺される「人」(オレたち、そしてここ新宿の地下道に暮らす人たち)

やっぱりかなり権力批判的な「メッセージ」をわかり易く描いた作品も多い。
極力「意味的」な絵を描かないようにつとめていたが、どうしてもオレの性質上反逆的な「メッセージ」をダイレクトに描いてしまう。

「尾崎豊な(理屈で攻撃するナルシスチャイルド)」ジェネレーションは「金八先生(人情理想主義)」「パンクロック(とにかく破壊)」はどうしても刷り込まれているのだ。

オレも「上手」になることは「カッコ悪いこと」と信じていたし。

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まんがの家

まんがの家
武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照


家そのものがコミック!
ふんぞり返った芸術よりも「漫画」を尊敬したオレたちの傑作!

伝統芸能以外で世界に誇れる日本の文化と言えば「アート」ではないことだけは確かだ。

当時オレたちは「漫画」だと思っていた。

今は「テクノ(アンビエントとかも含めた)」と「ゲームやCG(2D,3Dともに)」がプラスされると思う。

私見だが、古典伝統芸能以外の日本の芸術は「ハナクソ」より価値がない。

「現代美術」なんぞ「商品」にも「理想」にもなれない、プライドだけ高い一流大学出の無能不能野郎どもと同じだ。

悪いが「ネコの口臭」の方がもっと価値がある。

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この国の歯車って?

haguruma_450.jpg
武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照


日本から沢山の「人」の字が出て歯車に吸い込まれて行く。
「人」はベルトコンベアにのっかる。そこから落っこちたりするヤツもいる。
ベルトで運ばれた先には幼児がいて吸いこまれる。
片方の幼児は栄養失調となり「屍」のようになっている。

この国とは一体どんな国なのか、っていうのをオレは表現していたような気がするくらい「日本国」にはこだわっていたようだ。

だからなのかここ新宿での制作は「創作」だとは思っていなかった。

むしろ「この国のデッザン」だった。

見事にリアルなデッザン力ではないか。

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平家物語

平家物語
武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照


「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・」で同じみ平家物語のパロディ。
文字だけによる珍しい作品。

この作品を観ながら歩いていたサラリーマン同士が思いっきり「正面衝突」をした程、みんなじーっと読んでいた。

やはり言葉に人間は強く反応する。
特にこの作品は「ペテン」のきいた「風刺」だけに評判が良かった。

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べるるるる・・・

べるるるる・・・
武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 地下鉄「京王新線」へ続く地下道(参照


ピンぼけの写真しか存在しないのがまことに残念!
人体形体に対するこだわりが良く分かる作品。

古今東西絵に描かれている人体はだいたい人間ではそう出来ない形にデフォルメされている。
それを「絵」として成立させればいいんだから何も実際の人間と同じでなくていい。
そのデフォルメの仕方が大胆でかつユニークなのは「洋画」ではなく「浮世絵」だとオレは感じていた。

この絵画たちの形体からかもし出す雰囲気が、「没個」の群集に身を潜めた「意地汚く品性の低い、バッタ大群、日本人」に何らかの「カンフル剤」になればいいと思っていたんだ。

誇りを失い、ウィルスのように増殖するだけの「大日本総中流市民意識」と美意識を持たない中途半端に権利かざす「デモクラ、イズム連中」こそ世界中でナメられてる「日本(ジャップ)」を形成しているのだ。

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