初作品

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
新宿西口地下道段ボールハウスペインティングのデビュー作。
最初、地下道の段ボールハウス群に絵を描こうとは微塵も思わなかった。新宿の何処かでゲリラ的にストリートペインティングをしようとしたのだ。オレは「TAKEWO」とペンキをかついで新宿を歩き回った。しかし、一見自由そうに見える大都会もゲリラペインティングが出来そうな所は見つからなかった。さんざん捜し回ったけど、この街はやっぱりシステマティックだった。意気消沈してオレたちはあてもなく彷徨ったのだ。
希望を失い、呆然と新宿に立ち尽くした。街は巨大で威圧的だった。絶望感に覆われながらフラフラと人の流れに任せていたら、オレたちはいつの間にか新宿西口地下道の段ボールが連立する村に辿り着いたのだ。そのまま、ふらふらと吸い込まれるように一軒の段ボールハウスに近付き、そのまま段ボールの扉を「パスッ、パスッ」とノックしたのだ。
「なんじゃい」
中からはがたいのいい恐そうなオッチャンが顔を出した。
「絵を描いてる者ですが、あなたの段ボールの家に絵を描かせて貰えますか?」
「なんじゃい?」
「ですから、段ボールハウスに絵を描かせて欲しいんです」
「なにぃっ!」
「・・・」
「あっ、いいよ、描け」
そう、こうして段ボールハウスペインティング活動の幕は切って落とされたのだ。オレたちは
夜から朝にかけて、「TAKEWO」と二人で2軒の段ボールハウスに絵を描いた。
夜中は人の叫び声とガラスの割れる音が遠くから聴こえ、数十分おきにパトカーと救急車のサイレンの音が地下道に響き渡っていた。
真夏の夜、大都市のアンダーグラウンド(地下道)からオレたちの「反逆」は始まったのだ。
初作品その2

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
最初の連作品二軒のうちの一つ。
はじめてここで描いた夜、二軒の家に絵を描いたのだ。一つはとなりの「ゴルゴ13的人面魚」そしてもう一つがこれだ。男女のペアになっていたのだ。
「泣く男」と「冷めた目で見る女」が並んだ形になっていた。残念ながらこの絵の寿命は短かった。
今改めて眺めてみると涙が出て来そうになる。
新宿の左目

武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 西口地下広場(参照)
1996年1月24日、東京都による新宿西口ホームレス強制排除でも生き残った代表作。
新宿西口地下道段ボールハウス絵画と言えば「この絵」だと言っても良い。
「ヤマネ」が「新宿の左目」と言葉にした。その言葉のイメージで三人同時に描き出した。
夜通しのライブペインティングだ。三人のバトルだった。このペインティングバトルのテンションはギャラリーが出る程だった。
西口のロータリーをはさんで向いに「新宿の目」という右目だけのモニュメントがある。オレたちの描いた絵は「左目」だ。
ちょうどいい。これで対になった。新宿の地下道に巨大な両目が出現したのだ。地下道はこのクソ日本に牙を向く魂を持った生き物となったのだ。
念のため言っておくが「新宿の左目」の「左」は別に「左翼」の「左」なんかではない。60年代を引きずっているチンカス団塊オッサンども、誤解しないでくれ。オレはお前らみたいなクズではない。
そうそう、ちょっと不思議なことだが、この絵が出来上がった時「この絵がなくなる時がこの村が終わる時だなぁ」って漠然と思った。
強制撤去でも生き残った「新宿の左目」は地下王国のシンボル的な存在となって君臨し続けたのだ。
そして1998年2月の大火災。
水浸しになった「新宿の左目」は東京都に破棄され、同時に村もなくなった。
「新宿の左目」は、本当に段ボール村と共に死んだのだった。
グラフィックな日常

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
絵は「らくがき」である。
当時のオレはそう考えていた。
これは描き上げた後に「慰霊碑」(?)のような役割としてこの作品が位置付けられていた事をあらわしている写真だと思う。
オレたちの絵がここの場所で何らかしらの宗教的役割を果たしていたとするならば、「絵とは何か?」というオレの疑問にひとつの答えが見出せるのかも知れない。
くれない

吉崎タケヲ 作 / 西口地下広場(参照)
これはスゲエ!圧巻絵巻。
タケヲはこの頃からどんどん絵が和風になって行く。
しかし、凄い。見事としか言い様がない。
パズル

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
塗りの組み合わせだけで描いた作品。
こういったいわゆる「絵画」ではない作品も結構あったはずだ。
美術をちょっと見れば分かることだが、なんだかよく分からないただ、塗装しただけの絵を描いている現代美術の「巨匠」が結構いる。
何やらもっともらしい「高尚」な理屈がづらづらと解説に書かれていたりする。
オレはそう言ったタグイの「現代美術」に何の魅力も感じなかった。むしろ偉そうに見せているその権威ぶりに猛烈に不快感を覚えていた。
ヨーロッパ、アメリカの現代絵画を「かっこいい」と思わないと芸術を語る資格すら与えられない「アート」な雰囲気をここ極東の日本で作ってどうするん?
阿呆なクソインテリたちにはホントにゲンナリ。
といったことをちょっとやってみたのさ。
色目

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
となり合う家の奥の家に手を伸ばしながら苦労してペイントしたが、家が移動し、くっついていた家の部分の段ボールがむき出しになっている。
ここインフォメーション前は定住型段ボールハウスが作られていたが、やはりちょくちょく移動していた。
ここ地下道にある段ボール村の段ボールむき出しの所を全て「絵」で埋めることを目指して描いていたが、それが完成することはとうとうなかった。
切り取られた絵

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
何回も修復をしたのだろうか。
かろうじて小さく絵の部分が残っている。
「Take」作。
ここインフォメ前の定住型段ボールハウスは何枚も段ボールをつなげて一件にしている。
弱ってきた所は新しい段ボールに替えて補強していた。
ちょっとづつ絵の描かれた所が消えて行く。
これはこれで住人とのコラボレーションなのだ。
イトヒサの絵(3)

鷹野依登久 作 / 西口地下広場(参照)
96年の夏に描きに来ていたイトヒサの絵。
絵の下書きをしなかったオレは、鉛筆で下書きをしてからペイントするイトヒサの絵の描き方を観て結構ビックリした。
当時はまだ身(からだ)が引き締まっていた(人の事は言えないが)。
羊たちの罠

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
いつ頃に描いたのだろうか、制作中のオレが写っている。
後ろからの襲撃が恐いのと、たとえ足下でも置いておいたら盗まれるから、という理由で、普段リュックは背負いながら絵を描いていた。
この写真の時はリュックを背負ってないが、それはこのTシャツがここ新宿をデザインした「I Live Here」Tシャツだからである。
こういう時リュックは西口のとあるビル地下にあるスナック「地下室のメロディー」の観葉植物の鉢の後ろに隠していた。
ペンキ缶もそこに置いて隠していた。
ママに感謝。
ゴリラ君

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
丸で描かれた作品。
作品は個人の理念や思想や作為というより、この時空に対し奇妙に「必然」的なものでありたいと思っていた。
オレは「丸」を多く描いた。
丸は角が無い、まろやかで、どこからみても同じ姿だ。そして何やらひょうきんである。
とんがりながらも「丸」をよく描いていた。
磨ぎ過ぎると本質を見失う。
「いい加減さ」とか「ユーモア」とかそういったものを含めた表現がしたいとも思っていた。
けどそれってなかなか難しくって、どうしても「いきなり人の首根っこを掴む」ような気持ちで描いていたことの方が多かった。
ナイフを突き立てて、野蛮に吠えていたい自分、
いろんなものを許容しながらユーモラスでいたい自分、
いろいろあった。
けど、一番自分が(良い方に)変われる体験とは「人の優しさに触れた時」だと実感した。
細胞

吉崎タケヲ 作 / 西口地下広場(参照)
模様系作品
いわゆる「絵画」ではない作品も実は結構描いている。
これはその一つ。
毎回違う絵を描き続けている中で「絵」以外のことをしたくなったりもした。
段ボールハウスを目の前にして「うんうん」唸ってもインスピレーションが湧かずに絵が見えて来ない時もあった。
模様と言うか、デザインと言うか、そんな感じのがあってもいいと思った。
イトヒサの絵(4)

鷹野依登久 作 / 西口地下広場(参照)
96年の夏に描きに来ていたイトヒサの絵(右側の絵)。
1996年、「イトヒサ」と「はる」のふたりがここ地下道にやって来た。まだ、あどけなさの残る顔をして。イトヒサはこの当時18才。
「ここで描きたいんですけど」という言葉にオレは少し冷たい態度で「ここは別にオレの土地じゃない。家主に直接かけあってくれ」みたいなことを言った。
でも内心実はすごく嬉しかった。オレのやっているこの制作に触発されたヤツが直接目の前に現われたからだ。
しかし喜びもつかの間、オレは逮捕されて檻の中に入れられてしまった。
けど、イトヒサとはその後頻繁にコラボレーションをするようになった。
彼のハイセンスでしなやかなドローイングにオレはかなり影響を受けた。
この当時イトヒサはペインティング主体で描いていた。
扉たち

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
段ボールハウスの扉に描かれた絵。
左側「Take」
右側「Takewo」「Take」共作。
段ボールハウスの最もポピュラーな建築様式はこの写真のような扉だった。
長い面側に扉を作る形もあったが、耐久性がちょっと劣る(まん中が凹んできてしまう)。
文章で書くとちょっと分かりにくいけど。
大小形様々であったが、ここインフォメ前は長細い立方体が主だった。
紫色の悟り

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
ネオカラーの紫が手に入ったのだろう。
紫色を主体に描いている。細かい所まで丹念に描写してある作品だ。
写真家「Paeso」氏の展覧会に展示された段ボールハウス。
この絵は非常に細かい所まで描き込んであるのだ。
ちょっとピンぼけの写真なので分からないのが非常に残念だが。
みソラ

武盾一郎・山根康弘 合作 / 西口地下広場(参照)
たしかオレと「ヤマネ」のふたりの作品だと思う。
この時期あたりで印象的だった出来事がある。
缶ビールを買って一口程飲み、床に置いてほんの1分程目を離した。すでに缶ビールはなかった。
「誰が盗ったんだ」などと考える方が浅はかで、目を離した自分が甘かったことにすぐに気付き、諦めた。
ここ(新宿)では「やったヤツより、やられるヤツの方が悪い」。シンプルなルールだ。
「やった」とは「盗った」「殺った」「犯った」「姦った」全てにおいてだ。
ここ(新宿)にいたおかげでオレはずいぶんと用心深くなった。
のけぞる人

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
ちょっとデザイン的にしてみた。
ここに暮らす人たちはオレたちにとって最高の絵画評論家だった。
デザイン的にキレイにまとめたこの絵を描いた時などは「なんだかキレーすぎて面白くないなあ」と言われた。
言い訳や理屈は通用しなかった。
「ギャフン」って感じだった。
罪(無罪)

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
段ボールハウスが撤去される時の写真だろうか。
奥にある「罪」の字の左側には「無」の字があり「無罪」と描いた作品なのだ。
それは、1996年1月24日強制撤去に抵抗した活動家が一審で「無罪」となったことを受けて描いた作品だった。
それが後に「有罪」となり、1998年、都は村を絶滅させる「罪」をつくっている。
「罪」は社会の都合で作られる。その社会を作っているのは人間ひとりひとりだ。人間同士でいざこざしてるならまだしも、地球まで破壊してる。
人はそもそも「罪人」であるって案外正解なのかも知れない。
少女の見る夢

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
段ボールハウスの扉に描かれた絵。
この絵はだいぶ後期に描かれた絵だと思う。
96年の夏、オレが逮捕されて以降、オレとタケヲは別々に絵を描くようなっていった。
オレの絵は少しづつファンタジックに、そしてラクガキっぽくなっていき、
タケヲの絵は和風に、カッチリとした絵になって行った。
東京クラムボン

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
クラムボンが笑ったよ。
クラムボンは泣いていたよ。
クラムボンは優しかったよ。
クラムボンは落ちこぼれだったよ。
クラムボンは東京には勝てなかったよ。
クラムボンは死んだよ。
ゴミと一緒に捨てられたんだ。
(名前すら知らない、絵を描く約束をしたとあるオッチャンに捧ぐ)
象少女

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
絵を描き終えた後、家主が来て言った。
「なんでオレが考えてるコト分かるんだよお!オレがスケベなコト、よ〜く知ってるじゃねえか!」
絵の内容について、家主から注文を受けて描くと言う事はしなかった。
「ここに来て、この家を見て、家主と話して、感じたことを描く」姿勢を崩さなかった。
それはオレたちが示す「本気」の態度だ。ボランティアなんかではない。
あなたと同じ、或いは、それ以上こっちも「命がけ」で生きて(描いて)いる、というコトだ。
ここの住民たちがオレたちを受け入れてくれた最大の「理由」だと思う。
はなから子供

武盾一郎・武陽子 合作 / 西口地下広場(参照)
これもまた随分初期の作品。
実はオレの妹も描いている。
どういう経緯だか知らないが何故か妹の「陽子(犬顔・陶芸家・大酒飲み)」も参加した作品。
花から奇妙な胎児が産まれているのは、一見豊かそうに見えるこの花のような日本から、
奇怪な人間たちがわんさか産まれてくるってことだ。
臭いものには蓋をするだけのこの国だ。その下では有象無象の怪物たちがどんどん繁殖するのさ。
いい意味でも悪い意味でも。
火をふくブタ

吉崎タケヲ 作 / 西口地下広場(参照)
火を吹いているワケではないのだが、どっかの新聞で新宿西口地下道で「火をふくブタ」など摩訶不思議な絵が描かれた段ボールハウスが出現した。。。
と書かれたので、そのタイトルにしてみた。
この頃、新聞や雑誌で取り沙汰された時オレたちの絵を形容する言葉が「摩訶不思議な絵」だった。
「シュール」なとか「サイケデリック」なとか「ニューヨーク」っぽいとか言われるより「摩訶不思議」と言われた方が嬉しい。
美人画

吉崎タケヲ 作 / 西口地下広場(参照)
タケヲの和古風な作品は沢山あった。これはその一つ。
96年の夏にオレが逮捕された後、オレとタケヲはコラボレーションで絵を描かなくなっていった。
いろいろあるが、お互いの絵の求める方向が違ってきたのだ。
無題

太田倫美 作 / 西口地下広場(参照)
ほんの一瞬だが4、5人で描いていた時期があった。
それはその時の作品の一つ。
「太田倫美」作
1995〜1998年新宿の段ボールハウス絵画は存在し続ける訳であるが、ホントにいろんなことがあった。
まず最初は「タケヲ」とオレで始める訳だが、徐々に増えて5人で描いている時期もあったのだ。
まあでも日常的に制作を長く続けたのはオレと「タケヲ」そして96年1月24日のホームレス強制撤去まで描いていた「ヤマネ」の3人である。
この作品はこれを描いた翌年ムサ美に進学した太田倫美(当時推定年令約19才・推定体重58kg)による作品である。
天使ぼうず

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
天使とお坊さんがミックスされている。
オレは仏教徒でもないし、どこかの宗教所属している訳でもない。でも、その土地や風土、お国がらの信仰は無意識の中に存在してると思う。
1300年も前から国力を以って広めた仏教だから、日本人の意識下にまで浸透してるのは当然だと思う。ならそれよりも、もっともっと太古の昔からあったはずの古代原始信仰はもっと人間の精神の奥底に広大に存在しているはずだ。
その精神の奥の方にあるはずの最も根源的な信仰とは何だろう。
絵や歌や音楽や踊りは絶対にそこから生まれているはずなんだ。
そんなことをよく考えたりしていた。
泣く鳥と裸婦

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
争い奪い合うのはいつも弱者どうしだった。
そんな悔しい思いを「泣く鳥」と安らかに横たわる「裸婦」に託した作品。
とにかくここの人たちはよく喧嘩をしていた。
どこにも怒りや悲しみをぶつける場がないからだろうか、仲間同士で流血の殴り合いが絶え間なく続いていた…。
オレはとても悲しい憤りを感じずにはいられなかった。
社会の負のエネルギーや気はヒエラルキーの最も下の人たちに押し付けられるんだよ。
押し付けた側は安全な場所から「優しさ」と「憐れみ」と「正義感」という差別意識で人権唱う。
上の方から見下ろしながら何か善行をした気になるんじゃねえ。
イヤラシイ偽善を振りまく前に、まずは料理の作り方でも覚えたらどうだ、タコ。
ここ地下道には人々が暮らし、血を流し、飯を喰らい、死んで行った様々な営みが染み付いている。
「臭いものにはフタ」みたいに小奇麗なショップ作って、表向きをキレイにしたからって、この地下道に渦巻く怨念と霊はずっと消えないだろう。
少年マンガで包まれた家

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
包むシリーズのひとつ。
少年マンガ雑誌で家をすっぽり包んでみた。
「Takewo」「Take」共作。
家を何かで包み込んむ作品をシリーズでやっていた。
英字新聞、少女マンガ、ゴミ袋、銀紙、週刊誌、等々…。
このマンガで包む作品しか写真にないのが非常に残念だ。
このような、いわゆる「絵画」以外の作品も結構あったのだ。
新宿梁山泊

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
劇団「新宿梁山泊」の為に作った段ボールハウス。
これもまたよく描き込んである絵なのだ。
制作は東京大学の駒場寮で行われた。現地で描いてない珍しい作品だ。
新宿梁山泊の公演会場に展示したのち、梁山泊の人たちがここ地下道に運んでくれた。
劇団「新宿梁山泊」さんに感謝。。。
極楽とんぼ

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
毎日毎日ラッシュに乗って、そんなにしてまで「守る」べき何かがあるの?
それを考える事を拒否して多数という波に乗っていれば「幸せ」なの?
労働が慣習だから労働してるんでしょ?義務だからやってるんでしょ?
あっ、そんな事すら考えた事もない程「脳みそ」使わずに生きて来たんだよね。
こっち(アウトサイド)は極楽だよ〜ん。
って言っている。
厭な事を我慢して辛抱すればやがて年上になり、そしたら「威張れる」!
という中学生レベルの上下関係こそ理性社会の基本なのだ。
能力主義とはもっとさかのぼって小学生レベルの「実力本位による上下関係」が基礎にある。
今のこの国は両方の「悪い所どり」をしているのだ。
アウトサイドしてしまえ。こんな国家から。
タフであればきっと生きていけるからさ。
目を持つ人

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
「目」を強調させるのは、 路上生活者たちの村(オレは”幻の王国”と呼びたい)をモノのように観ていく通行人達に「自意識」を与えたかったからだ。ストリートという「非個人」の場では何を観ても自分自身が匿名気分でいられる。
「お前の方こそ観られているんだぞ」
ということを分からせたかった。
この一連の絵画制作は「TAKEWO」とのコラボレーションがメインとなっている。
1996年1月24日ホームレス強制撤去の日までは「ヤマネ」も参加していた。
それは「ジャムセッション」の感覚に近いものだった。
オレは音楽の「うらやましい所(バンドとかみんなで一つの作品を奏でるなんてホントに素敵だ)」を絵に持って行けないだろうか?と考えていたのだ。
だからこの絵はさしあたって「ベースのチョッパーソロ!」のようなテンションで描いたのだ。
顔と顔

武盾一郎・吉崎タケヲ 作 / 西口地下広場(参照)
左側が「Take」
右側が「Takewo」
そう言えば「顔」が描かれて無い絵はほとんど無かった。
人がもっとも認識しやすい形体は顔だからだろう。
単純明快だ。
それに顔を描くのは、なんてったって楽しいのだ。
こんにちは

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
複雑に入り組んだ段ボールハウス郡の隙間から「こんにちは」と顔を覗かせるように作った作品。
とは言っても、段ボールハウスはちょくちょく移動する。分解もするし、継ぎ足して補強もする。
次の日来てみると、描かれていない面が表に出ていたりで絵で埋めて行く作業は永遠に終わりのない、果てしない道程だった。
結局オレたちは絵で100%この村を埋め尽くすことは出来なかった。
まさに未完の大作だったのだ。
逆さで泣く女

吉崎タケヲ 作 / 西口地下広場(参照)
この写真を見れば分かるだろうが、通常オレたちは背中にリュックを背負って絵を描いていた。
それは背後からの襲撃が恐かったのと、すぐ横だったとしても置けば盗まれるからだった。
実際オレはリュックを盗まれている。リュックをすぐ横の足下に置いてちょっと絵に筆を入れていた隙にだった。
中に入っていたのは日記と眼鏡と筆だったから盗んだ人はがっかりしただろう。
しかしオレにとってはとても大切なものだっただけにショックはでかかった。
手さげ紙袋に入れていたペンキも盗まれたことがある。まあ、ペンキだと分かっていたら盗らなかったのかも知れないが。
とにかく、盗まれたらあきらめるしかなかった。
だるまトーテムポール

吉崎タケヲ 作 / 西口地下広場(参照)
ここで制作されたのは「絵画」だけではない。
立体作品も結構創っていた。
「Takewo」はとても器用で、平面の絵ばかりではなく、立体造形もいいものを造る。
この他にも結構ここで立体作品を創っていたはずだが、写真がないのが残念だ。
トーテムポールには並々ならぬ興味があった。
原始信仰は「野蛮」で「幼稚」で「遅れた」人間だから産まれたのか?
違うな。
オレはそう感じていた。
むしろ、「進歩」と「進化」を信じて美しいものを蹂躙しまくっている現代の方が「野蛮」だ。
いや「現代」という抽象的な表現はよそう。「アメリカ的」と言おう。
戦争に負けたせいだと思うけどさ、いくらなんでも「アメリカ」に追随し過ぎだよ、日本は。
なんか利益があるンかも知れないけど、オレたち日本人ってあんなに「軽薄」な精神性、持てないだろ。
アメリカ的合理主義がそんなに「カッコイイ」ンか?
アメリカでカッコイイのはロックンロールが産まれたことと、スターウォーズがあることぐらいだぜ。
けど「ロックR&R」って黒人文化を搾取しただけじゃん。
それをオリジナル文化として強者の理論で売りまくったわけじゃん。ホントは「アメリカオリジナル」ではないじゃん。
それを「自分達の文化だ!」と言い張ってる。
多分その傲慢極まりない「野蛮」さがカッコイイのかも知れんけどさ。
「侵略」と「搾取」と「暴利」と「暴力」がアメリカのカッコよさでもあることは確かだ。
それに憧れた日本があるってのも確かだ。
「ロック」と「スターウォーズ」は許す。
けどよ、日本は何千年とある歴史があるんだからさ、もう軽薄で傲慢でデリカシーのかけらもない盗人な強者に憧れるの、よそうぜ。
線による絵画

吉崎タケヲ・武盾一郎 合作 / 西口地下広場(参照)
黒以外のペンキがほとんどない中からあみ出された見事な作品。
とにかくオレたちは貧乏だった。
しかし「オレは貧乏だ」なんて言ったら、「ふざけんなあ」と、ここに暮らす人たち殺されてしまう。
とにかくペンキがなくなってしまって、買う金もなくって、そこから「アイデア」が生まれたことは多々あった。
ペンキがなくなったら「泥ででも、何ででも描いてやる」気でいたから「苦しく」はなかった。
逆にこんな「ヒラメキ」を与えてくれた「苦境」に感謝しようぜ、なんて感じだった。
「希望」「欲望」「衝動」全てが絵を描くことに集約されていたから。
大頭

吉崎タケヲ 作 / 西口地下広場(参照)
「TAKEWO」一人による作品。
この絵のいきさつについては「TAKEWO」に聴いてみないと分からないが、彼女にしてみれば「カワイイ」作品である。
天女

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
「TAKEWO」の描写が冴え渡る逸品。
そう言えば、この絵を観ながら子供が「どう見てもニセモノに見えない」とよくわからない感銘の言葉を残していったことがあった。
オレたちはストリートで絵を描き続けた。まさにグレートなライブペインティングだった。
しかし「ストリート」ってだけでオレたちが美術的にランクが低いと勘違いしている「アート畑」のバカどもにはホトホト情けなくなるばかりだ。
技術的に言ってもオレたちはイッパシなのだ。「ヤマネ」は現在肖像画家であるし、「TAKEWO」は十代から魅力的な油絵を描いていた。
結局「東京芸大」出身がモノを言う。美大、芸大で固まって高飛車に「現代アート」ごっこをしてる。
無能な鼻クソオヤジどもは「芸術」だの抜かすくせに、結局売れる強者にへばりついていい気になっている。
醜さ極まりなく悲劇だ。誰も何も感じてないところも含めてまさに悲劇だ。
眠る人

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
わりと後期の作品だと思う。
人体の形が初期の作品からどんどん簡略化されて行くのが分かる。
よく絵が「恐い」とか「暗い」とか言われたが、平穏な感じの作品も結構あるのだ。
恐い絵という印象は絵画の描かれているこの状況をも含むからだと思う。
場所は新宿西口地下道、まさに「アンダーグラウンド」。
金の為でもなく、「描きたい!」という衝動のみで突き進んだ。まさに「アンダーグラウンド」。
アウトサイドしてしまった人たち、「ホームレス」と呼ばれた人たちの家、段ボールハウスに描き続けた、芸術という業界からは完全にアウトサイドしている芸術活動、まさに「アンダーグラウンド」だ。
断っておくが、いわゆる「アングラ」ではない。「アンダーグラウンド」だ。
「サブカル」ではない。「アンダーグラウンド」だ。
現実を直視できないから世の中を斜めに観て、必要以上にわざとひねくれてみて、ちょっと知的なテイストを加えて、スキマ産業的なマイナー思考で群れてはしゃぐ「サブカル」、「アングラ」ではない。
直球のど真ん中。
オレは「王道」をやってたつもりだ。
血と知

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
題名を絵に描き込んだ珍しい作品。
絵の題名を段ボールハウスに描き記す事は滅多になかった。絵の題名なんてどうでもよかったからだ。名前なんかより作品から沸き出す「何か」とか精神性とか魂とかの方が重要だ。
よっぽど意味として伝えたい事がある時に文字(言葉)を使った。
文字を使うととたんに通行人が気にとめるようなるから不思議だ。
絵にどれだけ想いのたけを閉じ込めても、文字ひとつ書いてある方を人は見るものなのだ。
意味の分からないものは見えないからなのだ。
この制作で、人はオレを「理解」しようとしたり、「その行為のコンセプトには反対だ」とか言って来たりするヤツらは多かった。
まず、「何かを感じたかどうか」なのだ。
意味はその後からついて来るものなのだ。
血を流したことのない知識人なんて全く信用出来ないものだ。
安全な所からペラペラ偉そうに喋るんじゃねえ。
あめとむち

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
今さらとなってはよく思い出せない作品もあるがそのうちの一つ。すっかり忘れている作品がどれだけあるかが恐い。
この当時、「一件壊されたら二件描く」の気持ちで描いていた。出来上がった作品に浸っている余裕もなかった。
描く行為そのものだけに全パワーを注いでいたので、「何を描いたか」というのがすっかり飛んでしまっているのもある。
1日と持たない段ボールハウスから1年以上もつ家まで様々だった。
仕上げるまで何日もかかった家から、1日で描き終る絵まで、オレたちの描き方もまちまちだった。
犬とブタ

武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 西口地下広場(参照)
これも随分と最初の作品だ。
実によく描き込んである。
いやあホントに丹念に描き込んであるよ、これ。
写真ではちょっと分かりにくいかも知れないが、3人でしきりに描写をした記憶がある。
シュールだとか言われたしその通りだとも思う。
だけど、日本の昔の絵や古典落語の方がもっとシュールだぜ。
言い様によっちゃあ、20世紀に入ってやっとヨーロッパもシュールが分かるようになったんだよ。
日本より遅れること数百年。
それなのになんで西欧主軸で考えるんだ?
おかしいんじゃねえ?特に「知識人」とか「文化人」とか「学者」とか「インテリ」とかって呼ばれてるヤツらよお。
自分のじいちゃんよりも白人の言ったことに価値基準を置くのか?
それってカッコ悪いぜ。
下書きらしきものが出て来たので新たにアップします。(Flash versionにはない画像)

バラと戦争

武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 西口地下広場(参照)
ヤマネ」初参加作品!
オレと「タケヲ」で描き始めて3週間。「ヤマネ」が参加するようになる。
この時は5人で制作していたのだ。
この後、養老の瀧で飲んだ。新宿の養老の瀧は24時間やってるし、安かったのでよく利用したもんだった。
酔っぱらって階段を昇って外に出ると、太陽にむせかる排気ガスとうるさい程の街の雑踏が出迎えてくれるのだ。
そしてオレはぐにゃりとネジ曲がった空間の中で、廃虚と化した大都市「東京・TOKIO」を夢想したりしたのだった。
幸福とは?

武盾一郎・吉崎タケヲ・上條久美子 合作 / 西口地下広場(参照)
幸福そうな顔を描きたかった。
「ホームレス」と呼ばれる人たちと「一般人」と言われる人たちと一体どっちが「幸福」なのだろう?
ホームレスは不幸なのか?オレはそうは思ってない。
ただ悲劇ではあるかも知れない。
かつて「辻仁成」氏の個展で「あそこにいる人たちは悲しそうな表情をしていなかった」と少し氏の想像と違ったことを話してくれた事があった。
1995年11月10日東京新聞の「本音のコラム」で辻仁成氏は段ボールハウスのことを取りあげ、光栄にも「(前略)芸術が高い敷き居の向こう側へ姿を消した今、青年たちは冷風が吹きすさぶ街の中へはっきりとした声を伝えようとしている。その声の寿命は短いが、しかし志は高い。」と書いてくれた。芥川賞をとる前の事である。
悲劇が露骨に集約されているような場所に暮らしている人たちは実は「すんごく陽気」だ。
「暗い顔」なんかしてられないのだろう。
暗黒や悲しみに自分の身を寄せようとする行為はそれ自体「幸福」であるコトを示している。
深刻ぶってるヤツは「余裕」なんだよ。危機感を煽り立ててるヤツらも実は「余裕」なんだよ。
騙されんなよ。
本当にキビイシイ状況で生きている人たちは「目一杯陽気」なんだよ!
その哀しみが解らずに深刻ぶってるヤツらを信用するなよ!
社会的にも、知的にも、精神的にも、金銭的にも、名誉的にも、もう這い上がれない庶民が毎日飲んだくれて踊っているのは「悲しい」からなのだ。
「飲んで歌って踊れ!!」
蛇ノ丸

武盾一郎・吉崎タケヲ・山根康弘 合作 / 西口地下広場(参照)
蛇の「日の丸」
これもまた初期の作品だ。
「日の丸」がモチーフなんてなかなかよろしいではないか。
そりゃあ、真面目にこの国のこと考えたら、「日の丸」の存在についてを考えざるを得ないだろう。
無葛藤に「日の丸」振ってる光景を目にするたびにゾッとするのはオレだけではないだろう。
「君が代」だって、胸はって歌えないし、歌ったことすらない。
こんなんでいいのかなあとか思ったりもするよ。
でもよ、「君が代・日の丸反対!」って所で脳停止して、それを正義だと思い込んでいるのって時代を直視していないと思わざるを得ない。
だったらそれに替わる何かを考えなきゃ、創らなきゃ、話しにならねーじゃん。
オレは八百万(やおよろず)の神が居る日本は素晴らしいと思ってる。
でも、なんでそれが萬世一系の天皇に結び付くのかがマルでピンと来ない。
この島国には太古の昔から神々が宿り、言霊が咲き誇り、精霊たちが活き活きと棲む、水と緑の場所だ。
例え、中国的仏教の無情観や西洋的合理主義や欧米的自由競争や欧米的民主主義が入って来たとしても。
天皇を中心とする中央集権国家が出来たのがおよそ1300年前だとすると、その人工的で不自然な神を古(いにしえ)の自然信仰と融合させて辻褄(つじつま)を合わせたとしか思えない。
この国も欧米ばっかりを参考にしてないで、2000年以上前のこの島を参考にしたらどうなんだろう?
HOTEL

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
写真家、天才アラーキー氏の写真集に掲載された作品!
しかしよりによってなんでこの絵の段ボールハウスなんだ?
(他にもいっぱいあったのに)
ハラ立つなあ。
天才アラーキー氏は何回かここ地下道でキョロキョロしているのを見かけた。
(オレのコトは撮ってくれなかった)
ハラ立つなあ。
その後「路上写真展」ってのをやってた。ブロック塀を写真で覆ってた。
(オレらのパクリ?なんてそんなこと申しませんが)
ハラ立つなあ。
まあオレ無名だし、金ないし、権威的な賞もとった事ないし。
ちくしょーっ!
時計魚

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
これはかなり初期の作品。
写真があってホントに嬉しい。
時計の目玉の魚が泣いている。
その口にはネコがいて喰われているはずなのにどう言う訳か「ふてぶてしい」顔をしている。
なんか意味不明だか、こういうシュールなモチーフは結構多かった。
背景に遠近法を用いないのが一つのポリシーでもあったような。
ハートの顔 1

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
ここにはいろんなハート(心)があった。
心がむき出しの人たちという意味を込めてハートの顔にしてみた。
「良い人」ってのも「悪い人」ってのもいないと思う。
オレにとって「いい人」か「いやな人」だけなんだと思う。
対する総ての人間にとって「いい人」なんていないと思う。
まんべんなく薄くみんなに「いい人」であるより、一人でもいいからその人にとって「かけがえのない人」でありたいと思っていた。
けど、人から嫌われることに臆病だった。
なんとなく愛想ふりまく自分がいる。
また自己嫌悪に陥ったりする。
フラットに自分を愛せるようになったらどれだけ楽になれるか…。
そう思いながら、自分に、他人に、牙を向けては落ち込む毎日でもあった。
誰かに優しくされると、ひざの下が抜けたようになんだか「哀しい」気持ちになった。
でも、生きて行く勇気が湧いたりもした。
「死にたい」って思うのは、もうよそうって思った。
かえる

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
わりと何度も潰して出来上がった苦労作。
最初はハエのよう絵になっていたが、潰して描き直したりした。
この制作ではせっかく描写したものを「全て潰す」コトが多々あった。
理由は、「納得いかなかった」それだけである。
その場で感じたことをどれだけ「そのまま」顕せるか、なのだ。
安全な家の中で絵を描いたらもっと違うものが出来る。
「この空気」を一番大切にした。
オレたちの言う「リアリズム」とは、そういうことだ。
だからこの絵達は写真より写実より「リアル」なのだ。
この絵を描いている最中にとある英語圏人の若い男性がやってきてこんなようなことを英語で言ってきた。
「もっと意味のある絵を描きなさい。政治家とか都庁とか(みたいな)」
オレはすかさず「アイキャンノットアンダスタンドイングリッシュ、ジャパニーズプリーズ!(意訳:ここは日本だ。日本語でしゃべれ、白人坊主)」
外国人はオレたちの絵画活動を非常に高く評価してくれた。
「東京ジャーナル(英字情報誌)」では森村泰昌をおさえて「1996年ベストアーティスト賞」をくれたぐらいだ。
しかし、英語で話し掛けて来る。わんさかと。いちいち質問して来るのだ。
今思うと嬉しい出来事だけど、当時はうざくてたまらなかった。
ラテン系の人たちは良かった。
オレが描いている横で踊り出したりして「感じてくれた」
一時オレはTシャツに「I can not speak English!」と書いていた。
おがむ顔

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
仏教的なモチーフも結構あったと思う。
「不条理」や「人間の業」について考えざるを得なかった。
ここで宗教的なモチーフが出て来るのはとても自然だ。
親族や社会を「拠り所」と出来なければ何処を拠り所にすればいいのだろう。
「頑張ればなんとかなる。ダメなのは怠けているからだ。」
という見識は「嘘」としか言い様がない。
何をやってもダメなら「拝む」しかないだろう。
おがむ手

武盾一郎 作 / 西口地下広場(参照)
隣の「おがむ顔」と連作になっている。
「Take」作。
手の中には母と赤ん坊がいる。
赤ん坊は何やら挑戦的な目つきでこっちを見ている。
それはこれから産まれようとするものが現在の価値観をひっくり返して行く、という意志だ。
結論から言うとその志はことごとく打ち砕かれて、これら膨大な作品群は東京都に「ゴミ」として捨てられる。
この絵画活動もその価値を認められる事はないまま無視され続けている。
この絵たちが(例えネット上でも)生きて存在してる限り、再生と復活があることを、信じて拝むしかない。
ハートの顔 2

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
ハートの顔が気に入ったのか「第二段」。
多分もう幾つか描いたような気もするが、写真がないのでなんとも言えない。
オレがここで首尾一貫して云いたい「心」とは何なのか?
それはどうしても「アウトサイド」してしまう心が居ると云うことだろうか。
上手(じょうず)やって「溶け込めない」
愛想笑いで「付き合えない」
この仕組みがどうしても「好きにもなれない」
逆利用出来る程「器用」じゃない
博愛される程「器量」もよくない
ロンドンパンクのように云ってやりたい。
「テメーラ、社会が悪いんだよ!」
色海

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
抽象的な感じに描いてみたかった。
この頃、曖昧なんだけど何かある。みたいな雰囲気を出そうとした作品が幾つかあったはずだ。
シャガール大好きだし。
抱き合う男女が描かれいるのだが分かるだろうか。
扉

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
段ボールハウスの出入り口の作品。
塗りと線だけで単純化させて描いて行くということも結構やっていた。
ペンキが無く、色が1〜2色しかない時などはそうなる事が多かったかも知れない。
「こう描きたいからこう仕上がった」という場合より、現状の中で生み出したものが多かった。
画材を盗まれて細い筆しか無かった時は細い筆でしか描けない絵を描いたし、黒しか無かった時は黒だけで描ける絵を描いた。
「青と黄色と赤と白が無い」と解釈するのでは無く、「黒がある!」と解釈するのだ。
そう思うだけで随分と絵が変わる。
これは統べてにあてはまる。
例えば「手持ちが350円しかない」と思うのではなく、「350円あるぞ!あと10円拾えばワンカップが二つ飲める!」と思って、新宿をうろつくと100円を拾ったりするものなのだ。
人

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
手を握って「人」の字を作ってみた。
この作品を描いていた頃だったろうか、不意に背後から「タケヲ」に近寄って来た人がいた。
「タケヲ」の体に触れたような気もしたが一瞬の事で分からなかった。
少々びくつきながらポケットをまさぐってみると千円札がねじ込んであった。
お金をくれたのだ!
オレとタケヲは呆然とした後、後を追おうとしたが、その人は新宿地下道の圧倒的な人込みに紛れて消えてしまった…。
背中を見せて丸腰で描いているオレたちはいつも後ろから襲われる恐怖を感じていた。
ペンキ缶を蹴っ飛ばして行く奴、つばを吐いて行く奴…、いろんな目に合ったが、「人」っていいなあ、と思ってしまう出来事もいっぱいあったのだ。
大首絵

武盾一郎・吉崎タケヲ 合作 / 西口地下広場(参照)
大見得を切って生きて行きたいもんだ!
「みえをきる」直前の「ため」の状態を描こうとしたのだが、東京ジャーナルでは「虫で痒くて首を掻いている絵」として紹介されていたようだった。
まあ、観た人の解釈でいいんだけど、面白いもんだ。
観た人の考え方が分かる。絵の素晴らしさはそういう所だ。
いろんな人がオレたちに感想を述べて言ったが、なんだか感想を述べた人自身の事を言っているように聞こえた。
「あ〜らステキねぇ〜」と言っていたおばさんはそんな気分だった感じだったし、「こんなしみったれたクズみたいな絵を描くのは止めろ!」と威張ってきたオッサンは背広こそ来ていたが貧相極まりない顔をしていた。
オレは心の中で「自分の事言ってら」とほくそ笑んでしまったのだ。
絵は観た人の心を写し出す鏡なんだよなあ。
「蛇と女」「フェラチオ娘」

吉崎タケヲ・武盾一郎 合作 / 西口地下広場(参照)
エロスシリーズ!
横向きの女性が描かれた家。となりの家には男性が描いてあり、そのおちんちんをくわえている、という家と家の連作なのだ。
これでは良く分からないのが残念だが。
遊廓

吉崎タケヲ・武盾一郎 合作 / 西口地下広場(参照)
下の「ぼたん」の通路側の絵。
「Takewo」メイン。
すぐ下の絵「ぼたん」の通路側の絵だが、分けてみた。
ちょっと写真が見にくいのが残念だが、都庁から歩いてくると強烈に目に飛び込んで来る逸品であった。
細部もよく描写されていた。
これを描いている時、若い韓国人観光客が4,5人はしゃいでフラッシュをパシャパシャとはしゃぎながら記念写真などを撮っていた。
写真を撮るのは構わないが、はしゃいでるのが気に喰わなかった。
若者がこの村にカメラを向けてホームレスのおっちゃんから殴られたりすることもあった。
絵を描いているオレの行為が産んだここへの不作法なだけに非常にやりきれない思いだった。